丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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ハードディスク購入

 年末恒例でハードディスクを購入した。4Gバイトのハードディスクが1万円ちょっとで販売されており驚いた。毎年のことだが、一年でハードディスクの値段が半分に下落する価格破壊のスピードに驚いている。4Gバイトのハードディスクには、400時間程度の録画を行うことが出来る。1万円のハードディスクに見るだけで、約17日くらいの情報が記録できるということだ。私は3チャンネル同時録画できるシステムを使っている。システムというほど大げさなものではないが、テレビが1チャンネル。ビデオレコーダーが2チャンネル。合計3ちゃんねるの同時録画が可能だ。通常は録画して消去。再度見たいと思ったものだけを残し、後は消去しながら繰り返して使っている。

 アナログの時から基本的にはこの方法でテレビを見てきた。10年間くらい同じやりかたで録画して、年の終わりに・・・新しいハードディスクを購入することを繰り返している。面白いのは残そうと思う番組がほとんどNHKということ。民放の番組は残そうと思うような番組がNHKと比べると圧倒的に少ない。今使っているハードディスクは2Gバイト。この容量であればおよそ200時間の録画ができる。一年間の番組で保尊しようと思う番組を200時間に収めるのは意外と難しい。常に録画することにしている番組がいくつかあり、それだけでも100時間以上必要だ。日曜美術館が50時間・・・プロフェッショナルが20時間。ガイアの夜明けが30時間。この3つの番組は残すことが多い。NHKスペシャルや古典芸能系で気に入ったものが、それぞれ20時間程度残すことになる。

 もっともハードディスクに残すからといって、再度見ることは殆ど無い。テレビに再接続することが面倒なために、わざわざ時間を掛けて見たいと思わないからだ。いずれもっと大きなハードディスクが出てきて、今まで撮りためた番組を一つにまとめられるようになれば、便利だと思うが、そうなるには、あと数年かかるだろう。もっとも家に番組を録り貯めることが今後も続くのかについて、私は少し疑問に思っている。最近の私はオンデマンドで番組を見ることが増えているからだ。テレビのライブ配信がこれから先・・・どれくらいの期間続いていくのだろうか。私はかなり疑問に思っている。高速通信が今より一般的になれば、いつでもどこでもオンデマンドで番組を見るという形態が、普通になるのではないか。そんな時代がすぐそこまで来ているように思うからだ。

 来年には8Gバイトのハードディスクが、1万円程度で購入できるようになるのだろう。その次の年は16Gバイト。その次の年は32Gバイト。ツールの進化は倍々で進んでいくから。。。そんな時代になれば、そもそも録画すること行為自体が、無駄なことになってしまうに違いない。世界の動画情報を一人で見るなど出来ないのだから・・・そのうち、私の好む番組だけを録画するような、人工知能が出来るのかもしれない。私が今行っている録画番組の取捨選択をチェックさえすれば、私の録画番組を残す残さないの判断はすぐに理解できるようになるはずだ。そう遠くない将来、嗜好をサポートをする人工知能が出てくるはずだ。私より私のことを知っている人工知能。それは未来でいう私なのかもしれないと思ったりしている。
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| 電脳嗜好 | 14:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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転換点を迎えている

 世界情勢を眺め考察すると、今年が尋常な年ではなかったことがはっきりする。アメリカの大統領選挙。中国の経済衰退。韓国の大統領の問題。北朝鮮の核。ロシアの強硬姿勢。イギリスのユーロ離脱。日本では天皇の退位の問題。のちの世代が今年を考察すると、世界史の転換点だったということになるような年・・・という評価になるに違いない。熊本県も今年は大震災が起こり、熊本城の被害などを見ると大きな災いが発生した年。阿蘇の噴火も基本的には収まっていないということで、その点でもとても気になる年回りだと思う。

 世界情勢がこれほど動くということは、やはり何らかの時代のエネルギー。共通項があるのではないか。結果として、これから先どういう変化が起こるのだろうか? 漠然とではあるがこれからの変化について考えている。私は今年の変革を受け・・・来年は本音の時代に突入するのではないかと考えている。保守回帰だと話す人も多いが、保守とは何かという、そもそもなりが今ひとつ明確でないので、世界が保守回帰という方向に向かうとは私は考えない。世界は保守回帰というより、ナショナリズムへ回帰に向かうのではないか。イギリスにしろ、アメリカにしろ、ロシアにしろ、その方向へ進んでいるように思えてならない。

 熊本も天草もどちらかと言えば、地域回帰するのではないか。理由は世界がその方向へ進んでいることと、地域としての再生という方向へ、向かうのではないかと考えるからだ。モノを作る人間にとって世界や地域が、どの方向へ進むかを見定めることは、とても重要な視点だろう。というよりも・・・むしろデザインを行う上で一番重要なことは、今から世界や地域が、何処へ向かうのかを予測することだとさえ思う。保守ではなく地域へ回帰することは、この国や土地にあるものを、見直す時代がやってくるということだろう。しっかりと見渡して、そこに存在する何かを探せば良いのだから、簡単なことではないかと・・・思いを巡らしているところだ。

 今年は激動の一年だったと、あとからいわれる年であることは間違いない。来年も同じように様々な動きが結果として現れてくるだろう。今のままが良い人達にとって・・・過ごしにくい時代かも知れないが、世の中の固定化が進んで息苦しいと感じている人達にとっては、展開が開けて見えてくる年になるだろう。ありとあらゆることが転換点に差し掛かっているのではないか。人の想いの表現形式である選挙の結果からもそう見えるし、世界情勢を見てもそう思える。大変な世であるに違いないが、案外面白い時代に差し掛かっているのかもしれない。新しい秩序がはっきり見えてくるまでには今暫く掛かるのかもしれないが、しっかり考えていけば・・・良い方向へ向かえるようにも感じている。だから人の世は面白いとも思う・・・

| 国を考える | 17:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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短期・中期・長期ビジョン

 この3日間・・・ほとんど何も考えない日々が続いた。何も考えないといっても、生きている以上・・・何かは思っているわけで、考えていないとは、文章として残さない3日間だという含みもある。生きている以上・・・本当は無限に考えているのだろう。人は本質的には常に何かを考えていると思う。考えたことを残していない・・・つまりは、文章にしていないというのが、最初に考えない日々が続いたと書いた理由。。。。考えていないかと問われると常に何がしか考えているわけで、正確に書けば、著在脳ではなく、潜在脳で考えていたと書くほうが、私の実感に近い。日記を毎日書いていると、ついその日のことに追われてしまい、継続的なことを綴ることが疎かになってくる。今日という単位で、何を考えたかが中心となってしまい、あるテーマに的を絞って考えることが少なくなってしまう。

 今私は少々大きなテーマについて考えを巡らしている。天草の陶芸をどの方向に、導いていくべきなのかということが・・・今の一番大きなテーマ。それに付随して様々なサブテーマがあり、更にそれに付随して少項目のテーマがある。そして、各々にあ答えを出さなければならないと思い始めている。人は一年先のことについても明確な景色が見え辛いのに、20年先30年先100年先のことを考える作業を行っているのだから、漠然としたものと明確なものとが入り混じっており、頭が混乱することも多い。基本的には戦略と戦術と作戦ということなのだろうが、そういう幹のようなことから枝葉に至るまで考えるわけだから、一日の思いつきで日記を書くような訳にはいかない。

 もっとも大きな話は、日常の小さなことの集積だから、小さなことをしっかりと考えておかなければ、大きなことには繋がらないと思う。小さなことの延長線上に少し大きなことがあり、その延長線上に一番大きなことがあるから、小さなことに破綻が存在すると、少し先の大きなことにおいては、かなり大きな間違いが起こり、更に先の大きなことの時点では、取り返しのつかない問題が生じるだろう。小さなことが重要な意味は、ここにあると思う。では先の先・・・戦略の先には何を求めるべきなのだろうか。言葉のみで言えば『人が自らの将来に不安を感じずに、生きていける、継続可能な仕組みを作る』ことではないか。もちろん、天草という枠の中で考えることだが、今の天草に一番欠けているのは、その仕組を現代という事象に対して、プラスのメッセージを含みながら作り上げることだろう。

 もちろん、私が思うように未来が開けるわけではない。そんなことは当たり前・・・百も承知だ。ただし方向性が間違っていたら、今がどんなに良くてもすぐに頓挫してしまうだろう。頓挫しないためには方向が間違っていないこと。10年先20年先に目指すべき方向が間違っていれば、50年後100年後にはとんでもない方向へ向かっているはずだ。そんな先のことを私が考える必要はないとも思うが、あとから来る人達に無駄な労力を使わせたくないので、できるだけ今の段階で進むべき道を示しておきたいと思う。私より優秀な人達が違う考えで進んでも構わないが、その人達のためにもやはり進むべき道を示しておいたほうが良いと思う。おそらくこんな面倒なことを考えるような人間は、そうそう生まれないと思うから。未来の人に残しておきたい。この事について時間を掛け考える必要があると思い始めている。

| 陶芸 | 17:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Knotを購入してみた。

 日本製ということで最近話題のKnot(ノット・時計)を購入した。この時計メーカーのモノ作りのコンセプトが面白いと思ったからだ。日本は世界でも有数の時計生産地だが、最近は製造自体は海外で行うようになっているらしい。クオーツがムーブメントの主流となり安価なものが出まわり、国内生産の時計生産量自体が落ちているところに、携帯電話の普及で時計を、持たない人達が増えているらしい。私がノットに興味を持った理由は、日本の小さな製造業が・・・これから先どういう展開をすべきなのか・・・一つの道標になりうるのではないかと、思ったことが一番の理由だ。企業が大きくなることに力を注ぎ、賃金や雇用条件で海外に出ていくのであれば、残された中小企業は国内で生き残る方法を、見つけなければならない。ノットの時計にはそれに対する、一つの答えがあるのではないかと思ったのだ。

 つい先程送られてきた時計を見た第一印象は、デザインがまだこなれていないという印象。しかし、これはしかたのないことだと思う。時計のフェイスデザインは長い歴史があり、デザイナーの腕の見せどころであるフェイスデザインについては、まだまだこれからといった印象。もちろん、この時計メーカーは現在のところ高級路線の時計を作っているわけではないし、今の時点では高級なメーカーを目指しているわけでもないと思う。このメーカーが目指しているところは、目の超えた日本人に合格点をもらえる時計なのだろう。3万円程度で購入できるクオーツ式の時計を国産化する・・・というのが今の段階での企業戦略なのだろう。この辺りから始めるのがおそらく一番リスクが少ないやり方だと思う。デザインも際立っているわけではないが悪くはない。良いスタートを切ったというのが私の感想だ。

 本当はセイコーにこういった時計を作って欲しかったと思う。なぜならセイコーは世界最高峰の機械式クロノグラフを作っていたからだ。時計職人も優れた人たちがたくさん居て、他の追従を許さない精密時計を作っていたのだ。しかし、世の中はクオーツだということで、セイコーはクオーツ時計に軸足を完全に移してしまった。それが資本主義下での会社として正しい進み方かも知れないが、機械式時計の生産をもっと残しておいても良かったのではないかと思う。生産技術が進めば進むほど、人間が作る物の価値は高くなるはずだから、最高のものを作れるのは、人の手だろう。尤もそのあたりの商品になると、スイスが圧倒的な存在であり、スイスを凌駕することは出来ないという判断があったのかもしれない。

 時計を日本製で作るというコンセプトは、とても素晴らしいことだと思う。もちろん日本には世界的な大手メーカも存在する。その中にあってメイドインジャパンを作るという発想は、これからの日本のモノ作りが進めていかなければならないターゲットだろう。日本は1%の大企業と99%の中小企業が存在する国だ。99%の中小企業が持つ技術力こそが、この国の工業力の源泉だとも言われている。この力を使って世界に向けた特別なものを展開していけば、素晴らしい物になるに違いない。何も時計だけではないはずだ。ノットだけではないはずだ。。。。ロールオーバーマシンメイド。そんなものが沢山出来る国になれば良いと思う。すべての条件は揃っているのだから。

| モノを考える | 15:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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花しょうぶ祭の企画

 来年5月に開催する『天草花しょうぶ祭り』の第1回企画会議。私はこのイベントの企画委員長を務めている。この企画の最大の問題は雨がよく降るということ。菖蒲の咲く頃は、だいたい梅雨の入りということが多く。毎年雨に悩まされている。今年は5月の20日から開催するか、27日から開催するかで日程を見直してみた。過去30年間の降雨確率を洗い出し、5月27日前後の雨の確率が多い場合、5月20日開催で進めようと考えていたが、調べてみるとほとんど雨の確率は変わらす、変わらないのであれば5月27日開催で進めたほうが、良いという結論に達した。

 花の見頃は5月の後半のほうが確実性が高い。5月の27日で3分咲きくらい、20日であればようやく蕾がという段階ではないか・・・そう考えれば、やはり5月27日開催のほうが良いという結論だった。当初、私は5月の20日と27日では、降雨に関して明らかな偏差があると考えていたので、調べてみて少し驚いたが・・・最終的に日程を変則しなくても良かったので、良い方向に落ち着くことが出来たと思う。30年という時間軸で平均をとってみると、ほとんど違いがないということで、すっきりとした結論をつけることが出来た。

 花しょうぶ祭りは晴れていれば土日で10000人程度の来園者があるイベント。これが雨になると半分以下の来園者となる。雨が降ると半分以下になるということは、食品で出店しているところにとっては死活問題。晴れるととても気持ちの良い気候なので、弁当を求める人も多いが、雨で人出が減るととたんに弁当などが売れなくなる。野外のイベントにとって雨は常に厄介な事象なのだ。陶器は腐ることもないし、その日に売り切る必然もないが、弁当や生物を売る人達にとっては、その日の天候は博打を打つようなものだと思う。もちろん、それ以外の業種でも天気が悪いと客足も減るわけで、雨は恨み事に近い。

 集客についての企画も、一度振り出しに戻って考えて行こうと思う。花しょうぶ祭りをこれからどうするのかも含めて考えてみたい。西の久保公園はほんとうに良く出来た公園だ。華美ではないところや、全体が広い公園点もよく出来ている。広いというメリットを生かし、様々なことを行える場所だと思う。そこをどう使うか・・・我々の知恵が試されると思う。公園に来る人達が花を愛でることと同時に何を求めているのか・・・その辺りから、じっくりと考えを進めていきたい。基本的なノウハウとやる気はあるのだから、どのような未来を見つけるのかを考える必要がある。企画委員会の最も重要な仕事は未来を指し示しながら今の計画をたてることだろう。そのことを肝に考えてみたい。

| 町を考える | 11:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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