丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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秋が来た。

 朝、2階の自室を出ると、昨日までは熱気が上がってきていたのに、今日は冷たい空気が漂っていた。夏の終わりを数日前から感じていたが、今日はしっかり秋を感じる空気感で・・・夏が終わり秋が訪れる気配が漂っていた。工房に降りても北から吹く風が強く、汗一つかかない。あんなに暑かった日々が、嘘だったのではないかというくらいに、秋の気配が濃厚に漂っている。今日の風の強さは台風の影響でしょうかと・・・私に聞いた人がいた。迷走台風からかなり離れているので、この風は別の理由ではないかと思うが、本当のところは判らない。工房のエアコンを付けようと全く思わないので・・・今日の気温は昨日と比べて相当下がっているように思う。私は基本的には暑さより寒さのほうが気にならない。秋の訪れは待望なのだが、寒さに弱い妻にとっては秋を通り越し、冬の寒さを予感するような一日かもしれない。

 暑さや寒さの転換点では様々な思いが去来する。季節にはそれぞれに人毎の思いがある。夏が終わると、秋がやってくると感じる人もいるだろうし、今からどんどん寒くなると感じる人もいる。それぞれの思いがあるから、今日のように明らかな変化を感じた時・・・人々の思いも様々なのだろう。実際にはお盆を過ぎたあたりから、夏の盛りを過ぎたという気配は漂い始めていた。しかしそれは兆してあり気配だった。今日は秋が来たという感じ。季節の転換は一気にやってくるということが、明確にわかる朝だった。関東や東北地方に・・・明日には迷走台風が上陸すると報道されている。大きな被害が出ないことを祈るばかりだ。

 午後より掲載する広告の最終校正。今日の朝突然舞い込んできた話で、本来ならば断る仕事だ。午後1時よりデザイナーに大雑把な指示を与えて泥縄的な修正を行う。ある程度全体の流れができていたから、いくつか不要なものを削り取り、必要な物を加えたら・・・思いの外すっきりとしたものが出来上がった。校了時間が迫っていたので、ディテールの修正を再度指示して校正終了した。全体として考えればうまく進んだと思う。朝連絡が入り・・・二時半に校了したのだから、まあ、完全なものではないかもしれないが、文句を言われれも・・・ベストは尽くしたと言い切ることができる。自分は自分以上ではなく、自分以下でもないのだから、その時々・・・ベストを尽くせばいいというのが、このところの私の思想でもある。負け惜しみかも知れないが・・・

 校了のあと、窯元日記を書いている。時間は30分。月曜日にもかかわらず、やや・・・ハードワークだったので、今ひとつ文章の入力に手間取っている。不思議なもので疲れていても文章がスラスラ浮かんでくる時と、何を書けばいいのかと思い悩む時が私にはある。今日は現実の世界ではスラスラと指示をだすことができたが、文章を書くことに関しては、戸惑い気味に時間が過ぎているようだ。日記を昼間に書いている理由は・・・夜は酒を飲みたいからで、なんとか早く文章を書き上げて宿題を済ませたいからだ。昼から少し気温が上がっているが、工房のみんなもエアコンをつけようとはいわない。吹く風がいつもより冷たくて必要を認めないからだろう。夏は過ぎ・・・秋が来る。そんな気配が濃厚に漂っている。天高く在りたいと思う今日このごろ。。。秋空を眺めながらそんなことを考えている。
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| 雑記 | 16:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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狩野家のこと、熊本の喜多流。

 能楽の話になったので、私のところに来ていただいている狩野了一師のことを書いてみたい。了一師は20年ほど前から、月に2回私の工房に来ていただいている喜多流の職分の能楽師だ。喜多流の若手のホープと言われている人で、熊本の能楽師、狩野琇鵬師の長男だ。了一師は中学卒業時に東京の喜多流家元に内弟子として入門。学習院に通いながら修行に明け暮れた人だ。ちなみに能楽師は学習院に進むことが多い。琇鵬師がこの7月に亡くなられたので、これからは東京と熊本を往復しながら、熊本の一門に稽古を付けることになりそうだ。琇鵬師はフランスのエクスプロバンスに能舞台を寄贈したり、ヨーロッパで能の公演を行ったりと、国内外で活躍され・・・誠実な人柄で多くの人から慕われた方だった。能楽に不調法な長男が師の仕舞を観た時、空間が歪んで観えたと表現したが、師の演能は幽幻というか・・・儚さを強く感じる舞だった。

 喜多流は能将軍と言われる程だった徳川秀忠、家光が愛した流派で、流派として将軍の意向により一流と定められた流派だ。それ以前は4流1座と言われ、喜多流は流派としては認められていなかった。従って、観世流のように大きな流派ではない。秀忠・家光が好んだことにより、全国の大名がこぞって召抱えようとしたが、小さな流派であったために多くの藩に職分を送ることができなかった。結果として大大名のところを中心として喜多流は存在している。流儀の基本は烈帛の気合。『喜多気張り過ぎ』と言われるほど、烈帛の気合を大事とする流派だ。おそらくこの流儀を徳川家光は好んだのだろう。謡の稽古を付けてもらって驚いたことは、謡の音の高低について全く何も言われなかったことだ。その人の持っている声に任せるということで、声の高い人は高い声で、声の低い人は低い声で謳えばよかった。もちろん、正式な能舞台では、地頭という人が後ろの中央に座っていて、その人が地謡のすべてを取り仕切るのだが、声の高低にはほとんど拘ることはない。

 熊本の喜多流は3つの家がある。友枝家。塩津家。それから狩野家だ。友枝家の当主昭世師は人間国宝。塩津家の当主も素晴らしい舞手だ。熊本にこれほどの能楽師が存在するにもかかわらず、熊本には能楽堂がない。熊本県の様々な人達に、私は能楽堂を作るべきだと話をするが、殆どの人はその意味が理解できていない。熊本は武士の文雅が色濃く残っているところだと、自賛する人が多いが・・・私に言わせると笑止千万。文化の本質を理解していない人たちの文化論ほど滑稽なものはない。能楽は日本の文化の根源をなしている舞楽だ。文化都市を目指すのであれば、熊本に能楽堂は是非必要だろう。熊本城の復元に沢山の資金が必要だと言われているが、熊本城と同じくらいの価値観が能楽には有るのではないか。肥後細川の武士としての系譜に連なるものとしての位置づけが、低いように思えてならない。

 能はプロとアマの技量差が一番大きい舞楽と言われている。能楽師が覚えている謡の数はおよそ200番だと言われている。物心ついた時から始めるから、それだけの数が頭に入るのだろう。昨日の日記に身一つと書いたが、身一つで凌ぎきるには、圧倒的な何かが必要だと思う。狩野家はその名が示すように本来は絵師の家だった。先々代が京都に狩野派の修行に行ったが、箸にも棒にも引っ掛からない画才だった・・・ということで、能楽師に転向したと聞いた。絵師は筆一本。能楽師は身一つ・・・そういう血筋なのかもしれないと思ったりする。我々素人は能楽師の成長を見るという楽しみがある。狩野了一師が能楽師としてどこまで辿り着くのか。見者の楽しみであったりする。熊本に根差した能楽の発展を心より願っている。

| 雑記 | 14:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「身一つ」という思想

 能楽で古くからいわれている言葉がある。「身一つ」という言葉だ。能楽は哲学に近いと私は考えているので、能楽の先達たちが口伝として残してきた言葉や、風姿花伝のように書かれたものを読んだりするが、その中でも身一つという言葉にとても強く惹かれる。能楽はとても格式の高い舞楽だ。決められた大きさの舞台に4本柱。そこで演じられる幽玄であり華麗な舞は、神々しくさえあるが、能楽の凄さは必ずしも格式のみを重んずるわけではないことだ。仕手、脇、連れ等・・・演者は別けられるが、彼らは常に演者ではなく、時には謡を担当したりする。謡は全体を構成する調べとなり、重要な要素ではあるが主役ではない。昨日、仕手を演じた人が、次の時は謡にまわることが普通だ。舞台も時には格式から離れた場所で開かれることもある。例えば古には戦場で舞われたことも多く、臨機応変が尊ばれたりもする。

 臨機応変を行うためには、それに見合った技術のインプットがなされている必要がある。物心付いた時から謡を覚え、所作を身に着け。。。厳しい修練を積む。小さい時には、あまりいじらずに思いのままにさせておく。時分の花・・・それぞれの年代には、時々の花があるという意味だ。小さい時にあまりいじりすぎると怖気が出てしまい、うまく成長しない。基礎は教えながらも伸び伸びと演じさせよということだろう。700年といわれる能楽の歴史上には、今でも語り継がれる演者が存在する。そのような厚い歴史に対して常に意識を保ちながら、能楽師として生きていくわけだから、我々が想像すらできない厳しい世界があるに違いない。日本にはそのような深い価値観の上に成立している世界が、明確に残っている。

 能楽師が立っている世界を支えているものが「身一つ」という考え方だ。舞台の上では身一つ。それ故にすべてのことに対して準備しなければならない。準備する主体は身一つ。つまりその人なのだ。舞台の上では身一つ。ならば・・・それ以外の場所でも身一つだろう。この考え方が能楽が長い時間継続してきた、一番の理由だと私は感じている。能楽は格式の高いものだと書いた。しかし、能楽は様式にとらわれ過ぎない。その根本にあるのが。。。身一つという覚悟ではないのか。能楽は武士階級に大事にされた。庶民の舞楽とは切り離されて考えられていた。その一番の理由は、能楽の身一つという思想ゆえだったのではないかと私は感じている。舞台に立っただけで、その人のすべてがわかる・・・能楽とはそういうものだと私は思っている。

 能楽は最終的には個の問題に帰結するのではないか。日本は集団というイメージが強いが、物事を切り開く本質は個なのだと思う。個が際立たなければ集の力を統合することはできない。江戸期の武士たちが考えた理想は、やはり個の力を高めるということだったと思う。その本質は何かと問われると、私は「身一つ」だと思う。その導は能楽にあったのではないか。民主主義の世の中。みんなで考えることが大切にされるが、今の時代に最も重要なことは個の強靭さではないか。その系譜の始まりに能楽は位置すると私は考えている。舞台に立てば身一つ。人と接する時も身一つ。生きるに際しても身一つ。今の日本に必要なことはこんな考え方ではないかと感じている。

| 生きること | 13:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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会議と酒の愉しみ。祖父を思い出す。

 天草大陶磁器展まであと2ヶ月と少々・・・今日は陶磁器展関連の会議を3連チャンで行い、一通りの骨格が出来上がった。例年と比べて早い仕上がりではないかと、事務局に話をしたら・・・随分、余裕がありますねと言われた。私は何処まで仕上がっているかということを、中心として考える人間なので、今の段階でここまで出来ていれば準備は整いつつ有ると判断するが、事務局にとって・・・これから色々と煩雑な仕事が待ち受けているのだろう・・・まだまだという認識が強いのかもしれない。これからも週に一度のペースで事務局会議を行う予定なので、あと8回事務局との話し合いはあるが、その度に修正を加えていけば、大慌てすることなく準備ができるのではないか。実行委員長としては順調な展開だと思っている。

 仕事場は午前中は凌げるような暑さになりつつあるが、午後からはとんでもない熱波が襲いかかってきている。エア・コンを入れる入れないで揉めるので、午前中は我慢して、午後一からエア・コンを入れるという作法が出来始めている。今日は午後1時より事前チラシのデザイン会議。2時から会場の配置の会議。午後3時から事務局会議。と話すことの連続だったので、夕方にはなんだかぐったりとしてしまった。会議の成果は最初に書いたように私的には満足できる出来高で、安堵しているが、外に出た時に感じる熱風に、本当にゲンナリしてしまう。残暑という言葉がピッタリの状況で、この暑さの先の秋の訪れが待ち通しい限りだ。

 今日は集中して話をしたので、夕刻になった途端・・・かなり疲れていた。疲れた時には腰に来る。この疲れを癒やすことができるのは、旨い酒以外にはないと勝手に思い込んでいる。天草ではダル止みというが、今日のような疲れを取り去るためには、やはり・・・酒が一番だと思う。旨い酒と海の幸があれば、気持ちがとてもリラックスしてくる。酒を飲んで体の力を抜くことが、一番疲れを取り除いてくれる。すっきりと冷えた部屋で・・・旨い酒を飲みながら、天草の美味しいものを肴にして、まったりと時の過ぎていくことを楽しむ。今日はそんな夕餉を楽しみたい。一日頑張ったのだから、せめてものご褒美だと・・・自分に言い聞かせながら、何を飲もうかと思案しているところだ。もっとも私は腰を据えて飲む方なので、私と付き合いたい人はあまりいない。家族の同席は皆無だ・・・一人酒を飲みながら寂しい人生だと思ったりする。

 私の祖父は毎日庭を眺めながら夕食をするのが日課だった。一の膳、二の膳があり、魚の尾頭付きと刺し身。。。それから2合の酒を呑むことを無常の愉しみとしていた。花鳥風月。季節の移ろいを感じながら、一日を終える。小さい頃には判らなかったが、祖父のことを思い返してみると、風流な時の過ごし方をした人だったと思う。私自身が、夕方から日が暮れるまで・・・庭を眺めながら時を過ごすことに、憧憬さえ感じる年頃になったのかもしれない。私はこれからの12年間。一干支の時間が私にとって・・・とても重要な時間だと考えている。この時間を楽しみながら如何に過ごすかが、私の人生を左右するのだろう。生きることの愉しみも、自分の出来高もこの12年にかかっていると思い始めている。酒の一杯から始まる愉しみと・・・議論を経ての行為。ここが切所なのかもしれない。 

| 生きること | 18:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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夏の終わり。

 夏が終わろうとしている。子供の頃からこの時期は夏に対して惜別の気持ちが募ってくる時期だった。もっともその頃の惜別の情は、夏に対するというよりも、夏休みに対しての惜別で、終わらない宿題に対しての焦りが半ば以上気持ちを支配していた。今考えると・・・なぜあの程度の宿題をしなかったのか、その理由が今ひとつはっきりしない。おそらく夏休みは終わることなく永遠と続くと認識していたのかもしれない。今日しなかったことは、明日もしない。なぜなら夏休みは永遠に終わらないのだから。当時の私の認識はその程度だったのだろう。それは小学校時代のみの思いではなく、私の人生に対する一つの漠とした想いかもしれない。少年老い易く学成り難し。この言葉が私に襲いかかってくるのは、怠惰な私だから仕方ないかもしれないが、夏の終わりの憂鬱と・・・怠惰な私の憂鬱は同じ所から湧き出ているのだと思う。

 この夏。私はかなり酒を飲んで過ごした。私は酒を呑む時期と飲まない時期があり、今は酒を呑む時期だ。もっとも大酒飲みではないので、ワインならボトル半分くらい。日本酒ならば3合。焼酎だとコップ1杯位が適度な酒量だ。酔っ払うと眠くなる酒で、私の場合酒を呑むことは早く眠ることを意味する。今年の夏かなり酒を飲んだということは、早く寝続けたこととほとんど同義となる。以前は早く寝ると・・・そのまま朝まで起きることなく寝ていた。早く寝てしまうことが嫌で酒を呑むことを控えたり、また飲むことを繰り返していたが、今年の夏は早く寝てしまっても、夜中の3時位には目が覚めて、それから正気の時間を手に入れることが出来るようになった。酒を飲んで10時位にベッドに入り、夜中の3時に起き・・・比較的正気で物事を考える。今年発見した時の過ごし方だ。

 タバコをやめ電子タバコに変えたことも今年の夏のエポックかもしれない。私はヘビースモーカーで階段を登るくらいで息が切れていたが、電子タバコに変えてからは、ほとんどそういう状態がなくなった。電子タバコもタバコに変わりないが、タール分を含まないので体調が良くなっているのだろう。当初使い始めた時はタバコの量が減るかもしれないと思っていたが、実際にはタバコを吸う事自体がなくなった。おそらく電子タバコにもニコチンは含まれているので、ニコチンを欲しいと思わなくなり、タバコを吸いたいという欲求が抑えられているのだと思う。今年の夏の私は毎日酒を飲み、早く寝て早く起き・・・何かを考えながら時を過ごし、タバコをやめ電子タバコを吸うようになった・・・少しだけ健康になった夏だったかもしれない。

 一人になって考えること。。。それは贅沢な時間だと思う。自分が何処から来て今何処にいて・・・今から何処に行こうとしているのかを、じっくり考えることが出来るからだ。それは自分が何者かというテーマにも直接的に繋がっている。大げさに言えば・・・人が生きることは、自分が何者かを問い詰める行為なのかもしれない。小さいころの私は宗教者が仕事であるという事実に・・・驚愕した時期があった。生きることを問い続けることを、生業とする意味がわからなかったのだ。今でも生きることを問い続けることは、人としての定めだと私は思っており、仕事だとすることについて違和感がある。ついついそんなことまで思い出させてしまう、夏の終わりは様々なことを私に問いかける時期かもしれないと思っている。

| 生きること | 12:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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