熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・
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2014年04月18日
海の男達の精神はシーマンシップという言葉で表される。海の上は治外法権なので、指揮命令系統が明確である必要があるからだ。基本的には弱いものの生存を優先する。助け合う。命令に従う。常に最悪の状況を想定して動く。つまり、助け合い弱い者を優先し、困難に対して協調しながら海原を越える精神ということだろう。海での決まり事は沢山の事故が繰り返されることによってできあがっている。事故には必ず原因があり、結果が存在するからだ。
こういう背景があって、海外では海洋で子供達を教育するプログラムが数多く存在する。イギリスでは貴族の師弟が海洋少年団と呼ばれるスクールで、集団生活の基本をたたき込まれるという話も聞いたことがある。日本では戸塚ヨットスクールが有名だが・・・今でも戸塚ヨットスクールに関して賛否があるのは、厳しい戒律で人を育てることと、やりすぎて事故が起きることが、諸刃の剣として横たわっているからだと思う。海で生き残るためには、生きるか死ぬかの瀬戸際まで、たとえ訓練であっても追い込まなければならない。ここに戸塚ヨットスクールに対して賛否の争点があるのだ。
シングルハンドで航海するということは、どんな状況に置いても一人で対応することになる。怪我をした時も誰もいないわけだから、傷口を自分で縫合すると聞いた。考えてみれば当たり前のことなのだが、陸上にいるとそういう状況にはならない。海の上ではすぐに極限状態が発生する。嵐がやってきたり、マストが折れたり、急病人が出たり。常に危険と隣り合わせなのだ。船に乗る人たちは基本的に同じ状況にある。外洋でも内海でも、一人で海に出るということは危険と隣り合わせなのだ。
閉鎖系の空間である船において、今回の惨事は乗客である弱者を優先しなかった。これは信じられないことだ。昨年もヨーロッパで船長が先に船から脱出した事件があったが、今回も同じような状況のように見える。船の上では船長は最高責任者であり、指揮系統のトップだ。現場から指揮者が離脱すると、指揮系統は混乱する。シーマンシップと一般の船乗りは違うのではないかと思う人がいるかもしれないが、海という状況は全く同じであり原則も同じだ。3等航海士の女性が操船していたというニュースもでているが、船長が操船現場に居なかったということも、通常では考えられない。謎は深まるばかりで、現実の厳しさばかりが目立つようになりつつある。無事を祈るしかないが、それも限界に達しつつある。
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| ヨット
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2014年04月17日
大きな海難事故が起こった。300名近くの人が行方不明だという。座礁したという報道もあるが、不可解な点もいろいろとあるようなので、事故そのものについては評することは出来ない。しかし、船長がいち早く脱出して、助かっているという報道には強い違和感を感じる。私はヨットで2度ほど座礁の経験がある。もっとも有明海の場合は座礁というよりも、座洲(有明海は砂地が多いので、砂の上に乗り上げる場合が多い)なので、船が沈没するという切迫的な状況に陥ることはなかった。有明海は世界でも有数の干満の差が激しい海なので、ハーバーに入る時に潮汐の関係で座洲する事もあるのだ。
生命の危険は無いといっても、座州した瞬間は船の上から周囲の状況を観察する。砂の上なのか、岩が近くにありはしないか、船底の状態はどうかなど、目を凝らし、時には水中めがねを使って状況を確認する。乗船者がいる場合は周囲の状況を確認しながら、安全の判断を行う。ヨットの場合は乗船者は救命具を着ているので、最悪の場合何処の方角に飛び込んでもらうのかをあらかじめ決めておく。船に乗るとき船長は、その船で起きたすべてのことについて責任を持たねばならないからだ。
私のヨットのように小さな船でも、免許を二人が持っている場合。どちらが船長なのかを決めなければならない。船の上ではいつ不慮の事故が起こるか判らないので、指示系統が曖昧では、より大きな事故になってしまうことが有るからだ。同じ船でも一人で乗っている場合と、誰かを乗せている場合では、責任の重さが違ってくる。船長には船に乗せている人を守る絶対的な責任があるからだ。今回の事故では離礁しようとして、船をリバースさせたという報道がある。これも一般的にはあり得ない行為だ。
座礁した船を離礁させるのはとても危険を伴う行為だ。船体に穴があいて岩の上に船が乗り上げていたときには、離礁することにより穴が大きくなったり、穴から大量の水が流れ込んで一気に沈没することがあるからだ。避難せずその場に留まっておくように指示があったというが、これも考えられないことだ。船底の状態を調べながら、安全なところに避難誘導する。救命胴衣を着用させるか、緊急用の船の準備をするというのが鉄則なのだ。そう考えると今回の事故は人災だと思う。尊い人命が失われている可能性が高い。奇跡的なことが起こり、行方不明の人達が生還することを祈るしかない。
| ヨット
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2014年04月13日
昨日話を聞いたカナダのヨットマンのことを書きたいと思う。彼は55歳で日本の勤め先をリタイアしてカナダに帰国。長年の夢であったヨットを購入して外洋航海を始めたのだという。練習のため一週間くらいの航海を繰り返したらしい。この時点で私は凄いと思う。というのも、外洋に出たとたんに海の表情は様変わりするからだ。有明海と天草灘とは全く違った海。もっとも我々は普段から外洋と言うところまでは出ないので、一人でいきなり外洋に出ることは考えることも出来ないくらいの冒険だと思う。
有明海は海と言うよりも湖に近い。閉水域と言われる海で、海が閉じているから危険が少ないのだ。外海と比べ波が半分くらい。外海の波の高さが1メートル位の時に、50センチ位の波の高さである。有明海の内側では携帯電話の電波が問題なく届くし、常に陸が見えている。霧が出た時は視界が遮られるが、天気の良い日は、周囲を見渡しても陸に囲まれているのがハッキリ判る。そういう環境と比べると、外洋航海は全く別種類の航海となる。
夜の海はとても恐ろしい。日が落ちると夜の帳が降りていきなり暗くなる。何人かで船に乗っているとあまり感じないのだが、一人で船に乗っていて、周囲が暗くなると一気に心細くなる。外洋航海を一人で乗り切るためには、孤独と恐怖に耐えなければならない。時化た海でヨットを閉ざし、一人で過ごすことを考えただけでもとんでもないと思う。海に落ちればジエンド。体調を崩しても誰も助けてくれないのだ。
彼は日本の海・・・完全一周を目指しているということだが、この日本一周は並大抵のことではない。何せ日本の海の面積は世界でも有数の海域だからだ。特に沖縄方面の海は尖閣の先まで延びている。最南端と言えば台湾の近くまで行くことになるはずだ。チャートを見せてもらったが、長大な航海になりそうだった。自分がしたかったことを忠実に行っている。今しかないと思ったんだ。という彼の言葉に恐れを感じつつも、感動したのだった。私は多分そういうことを考えもしないだろう。狩猟民族と農耕民族の違いかもしれないと思い知らされた出会いだった。
| ヨット
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2014年04月06日
昨日の夜からヨットに泊まり、日曜日の長閑な時間を過ごしている。工房から5分のところにハーバーがあり、久しぶりに海にやって来た。ヨットのシーズンが始まっているので、ヨットマン達が集まってきているが、今日は生憎と風が強いので、海に出る気分になれない。天草の素晴らしい点の一つは、海がすぐ近くにあるところだと思う。工房から五分車で走れば船を係留してあるところに着くのだから、海が好きな人にとっては天国のようなところだと思う。
ヨットの楽しみは海に出ることは勿論だが、閉鎖系の環境ということも大きい。装備をどうするか、電気の配線をどうするか、給水系はどうするか、海図はどうするか・・・ヨットはすべて自分でやらなければならない。人に頼んで作り上げた場合、海の上で問題が発生した場合に対応が出来ないからだ。有明海は比較的安全な海だが、それでも海の上で問題が発生すると生死に関わることになる。エンジンのことから、電気系統のこと、危機回避のことなど・・・すべて自分で対応する必要がある。極言すれば、ヨットで一番大切なことは死なないことなのだと思う。
ヨットのキャビンは小さなビジネスホテルの一室のような広さ。私はこの窮屈な空間で、快適とは何なのかを考えたりしている。船の上の快適は陸の上の快適とは違う。陸の上では電気はコンセントまで来ているが、海の上では自分で作らなければならない。太陽光パネルを設置し、配線を行い、消費電力を計算しバッテリーを備え付ける。面倒なことではあるが、自分で作り上げると考えれば楽しいことだ。結果としてヨットで使う電気製品は消費電力が少ないもの、バッテリーがついている物。という選択になる。船の上では電気や水は貴重な資源だ。
しかし、それは船の上だけのことなのだろうか・・・とも思う。陸の上でもこのことを徹底していくと、電気をそれほど消費しない生活になるのではないかとも考える。ヨットの上ではきらびやかなものは一切存在しないが、留まることに対しての不満もない。ある意味では陸上にいるよりも快適だったりする。快適の正体は何処にあるのだろうと思ったりする。利便も快適になる要素だとは思うが、不便が絶対的な不快適だというわけでもないと思う。海の上での生活はそのことを考えさせてくれる。海では陸の上ではあまり考えないことを考える。海のお陰なのかもしれないとおもいながら長閑を過ごしている。
| ヨット
| 12:53
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