熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・
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2016年09月01日
朝から台風発生のニュース。昨晩は熊本地方で震度5弱の地震発生。なんだか忘れようとしていた事柄を、強制的に思い出さされたような気持ちがする。今度の日曜日に芸術文化協会のイベントが入っており、私はその実行委員長。早ければ明日。遅くとも明後日までには・・・開催についての結論を出さなければならない。内容はステージイベントなのだが、出演者は当日に向けて準備を進めているので、日を改めてということが出来るかどうか・・・今のところ大きな台風にはならない様子だが、それでも予報円の中に天草が入っていると、開催することは困難になると思う。こういう事態は過去に何度か経験がある。一番のポイントは何日前の何時に判断するかということ。今回のイベントは東京からゲストを呼んでいるので、その人の予定についても、事前に申し合わせをして置かなければならない。高校の吹奏楽部も出ることになっている。日程変更して彼らのスケジュールを合わせることが出来るかも、大きな問題となる。今回のステージは吹奏楽部の出番が多く、舞台が彼らに大きく依存しているからだ。秋のシーズンなので改めて日程調整が出来るのか・・・難しい選択を迫られそうで今から気が重い。
地震は明日から合同の窯元展が行われる場所の近くが震源地だった。震度5弱といっても震源地は相当な揺れだったらしい。今日が搬入日で、明日から3日間のイベントだが、お客さんが来てくれるのか、地震が再度発生しないだろうか、はたまた台風は大丈夫だろうかと、心配になることがたくさん横たわっている。なるようにしかならないというのが、正直な気持ちではあるが、なんとか上手くいかないものかと・・・祈るような気持ちで状況を見守っている。忘れようとしていた記憶を呼び覚まされたような思いに駆られて、今一つハツラツとなれない。地震についても震度5を記録するような余震は、発生しないのではないかと考えていた。台風に関しても最近は東北・北海道に被害を及ぼすケースが増えていたので、九州には来ないのではないかと、勝手に思い込んでいたのかもしれない。災害は忘れた頃にやってくる。思いがけない・・・地震と台風の発生を受けて右往左往しているところだ。
工房は9月に入った。しかも・・・台風の影響なのかもしれないが、お客さんもまばら・・・9月のはじめは例年こうなのだが、人の入りが少ないと、気分もひとつ盛り上がらない。朝から幾つかの要件が入っていて、午前中はその対応に追われる。最近の私は・・・夜にメールが幾つか入り、それを朝から処理するということが、日課となっている。面倒だと思うこともあるが、処理を進めていけば全体が開けてくるので、最近の私はしなければならないことを書き出して、確実に一つ一つを処理することにしている。一つの事柄を文章にしてみることが、思いの外効果を上げている。言葉で話すことと違い文章は残るし、時間を超えて相手に伝わる。様々な企画を重ねてつくり上げる時には、有効な手段だと改めて思う。今は陶芸展のイベントについての文章がほとんどだが、文章を積み上げていくうちに全体像が見えてくる。今年はそのことを徹底してみたいと考えている。おそらくそれが、今の私にとって最適解だと思う。
兎にも角にも9月になった。今年もあと4ヶ月となった訳だ。一年が経つのは本当に早いと感じる。これから秋に向けて一年で一番忙しい時期に突入する。思うことは一日一日をいかに大切に過ごすかということ。一番の課題は工房の生産体制を、いかにして建てなおすのかということだ。私のところの最大の弱点と最大の強みは同じ所から発生している。それは家族が中心となって仕事をしていることだ。最大の弱みは仕事に対しての話し合いが少ないこと。話し合いが少ないのは、話さなくとも判っているという、思いがあるからかもしれない。息子たちもキャリアーを積んできているので、生産に問題はないように思えるのだが、実はそうでもない。。。毎日に流されすぎているのではないか。確かに忙しい日々が続いて、目まぐるしいのだが・・・それでも皆でしっかりと話し合う必要があるように思う。陶芸展がどれだけ時間をかけて考えているかを見れば、如何にに話し合うことが重要なのかがわかるだろう。この課題を解決できれば工房はさらに進化すると思う。アタリマエのことだが・・・当たり前を行うのは、案外難しいのだと痛感している。
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2016年05月21日
数日前の話だが・・・天草に大きな地震が来るかもしれないという噂があると友達から連絡が入った。デマだろうと思う自分と・・・本当に地震が来たらどうしようかと思う自分がいた。噂のメカニズムなのだろうが、半信半疑という言葉が当てはまるような話だった。こういった話には共通点がある。今回の地震を予め予想していた人の存在。その人が・・・次は天草が危ないと言ったという繋がりであることが多い。テレビなどで語られていることも同じような構成であることがほとんどだ。熊本の地震の後に強調されたのは活断層。熊本県にも活発な活断層が存在し、今回の震源地マップを見てもその断層に沿って地震が起きていることが判る。そのことから予想されていたという流れだ。
断層は大分地方の地震とも連携しており、更には南海トラフとも繋がっているかもしれないという。南海トラフを震源とした地震が起きると、大きな津波が起きる可能性があり、津波は天草にも押し寄せる可能性があるという。ここまで話が大きくなってきても、それが今日なのか10年後なのかは判らないという結論になる・・・結局は地震は何処にでも起こる可能性があり、津波も何時襲ってくるか判らないということだろう。天草も危ないかもしれないが、四国も危ない。四国沖で地震が起こった場合大規模な津波が起こる可能性があり、未曾有の被害を起こす可能性がある。しかし、それは今日かもしれないし、10年後かもしれない。あるいは100年間は来ないかもしれない。
確かに今現在熊本は揺れ続けている。今日も震度3が3回起きている。それに対して天草はあまり揺れていないので、天草も揺れるのではないかという不安がある。東京大学の外国人の地震学者は、明確に地震は予知できないと断言している。予知という言葉を辞書でひいてみると『時系列的にみて、その時点では発生していない事柄について予め(あらかじめ)知ること。』とある。ここで問題になるのは、時系列の誤差だろう。例えばこれから1万年の間に地震が起こりますというのは予知だろうか。もしそれが予知だとしても、それほど長い予知であれば、あまり意味はないだろう。ならば地震が起こる可能性が80%なら予知だろうか。80%の根拠は正しいのか。。。この辺りになるとかなり判断が難しくなってくる。
最初に半信半疑だと書いた。半信半疑はフィフティ・フィフティのことだとすれば、50%の確率で地震が来ることになる。50%の確率で明日の地震を予想できるのだろうか。もちろん、その情報を伝えてくれた人は信用のおける人物である。早速私もインターネットで情報を探してみた。『次に地震が起こる可能性があるのは、今まであまり揺れていない天草かも知れない』と情報を発信している地震を幾つか予知している人の情報を見つけた。この辺りが情報源かもしれないと思ったりしている。直下型の大きな揺れが襲ってくると、逃げる暇もないだろう。大自然の前にはいかに準備していても人間は無力なのだと・・・今回の地震で身にしみつつある。噂のメカニズムを考えながら、生き延びる準備だけはしておきたいと考えている。
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2016年05月17日
熊本震災から一月が経過した。窯元・陶芸家の被害も次第に全貌があらわになりつつある。現在、判っているのは阿蘇と西原の被害の大きさだ。被災した窯元・陶芸家が27軒にのぼり、その中でも特に被害が大きいところが20軒ほど。中には崖崩れの恐れがあり、窯の移転を考えているところもある。阿蘇や西原は比較的、営業年数の短い窯元・陶芸家が多いので、これから先どうなるのだろうかと・・・心配している。もっとも私ごときが心配したところで問題の解決にはならないのだけれど・・・・
阿蘇や西原は熊本市への動線が飛躍的に良くなったことで、急速に開けたところだ。以前は阿蘇に行くのに2時間近くかかっていたが、様々な道路や橋が出来たことにより、阿蘇や西原は熊本にとても近くなった。土地も安かったこともあり、多くの窯元・陶芸家が阿蘇・西原で焼物を焼くようになった。週末には道路が大混雑するほど阿蘇・西原の観光は活発化したのだ。今回の震災で一番大きな問題は、阿蘇への動線が寸断されたことかもしれないと思う。
阿蘇へ続く道が険しくなるということは、阿蘇・西原へ人が行きにくくなるということを意味する。先程も書いたが熊本から比較的近く、土地が安いというとが、阿蘇・西原に窯元が増えた大きな理由だろう。一時間くらいで行けて比較的広い土地を購入することが出来ることは、窯を開く上でとても有利なポイントとなる。熊本から近ければ訪れる人も自然と増えてくる。そのような理由もあって阿蘇で窯を開く人が増えていたのだ。月曜から金曜日までゆったりと仕事をこなし、土曜、日曜で熊本からお客さんがやってきて焼物を購入する。そういった需要がしばらくの間は期待できないかもしれない。
数日前に妻が西原の友達の窯に見舞いに行ってきた。大きな道はほぼ全て通行止めになっており、道なき道のようなところを通って。辿り着いたという。ボランティアの重機隊が入り周辺は整理できていたようだが、被害は相当深刻で・・・元に戻るのにどれくらいかかるのか・・・復旧事業は始まっているが、公共的なものが優先されており、復旧しようにも人手不足が深刻になりつつある。そこにたどり着くことさえ難しい今・・・以前のようにお客さんが訪れるようになるのは何時のことなのか。今は現実の前で立ち尽くしているところなのだろう。とりあえずの騒乱がひとしきり収まり、我に返りつつ有るといったところらしい。長い道程はまだ始まろうとしているところのようだ。力を合わせて元の暮らしを取り戻すしか無い。そんな感慨を持った話だった。
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2016年05月12日
熊本で会議があったので少し早めに天草を出て、今回の地震で一番被害が大きいと言われている益城に行ってみた。復興の邪魔になるかもしれないという思いもあり躊躇いもあったが、邪魔であれば引き返せばいいと思い、足を運んでみた。現地の様子を一度見てくださいと・・・益城町の人から言われていたことが一番の理由だ。昨日の会議は熊本県伝統工芸館であり、私は熊本県伝統工芸協会の会長を引き受けているので、熊本の協会員の被害がどの程度なのかも頭に入れておく必要があった。熊本県伝統工芸館の向かいが、今回の震災で一番被害が大きいと報道されている熊本城で、熊本のシンボルの被害は、県民にとっても心に響いている。実際に昨日は報道陣に熊本城の現場の状況を公開する日だったらしく、沢山の報道陣が伝統工芸館側から熊本城を撮影していた。
すでに熊本に行って被災地を見てきた人の話は沢山聞いていた。三角半島に入ると少しずつブルーシートを掛けられた家が見え始める。とか、道路に段差があり、車がバウンドする。とか、被害状況を沢山聞いていた。最初の発震からほぼ一月。熊本に初めて行くので、様々な状況を想像していったが、私が想像していたよりも復旧が進んでいる印象を持った。もちろんすべての場所を見たわけではないし、各々の被災地にスポットを当てれば、莫大な被害が起こっているわけだが、街のすべてがひっくり返っているというわけではなく、大きな被害が出ているところと、比較的平穏そうに見えるところとがまだら状態に見えた。
熊本の健軍電停より益城の方へ進むと、被害の状況は一変した。道路上の段差が大きくなったり、倒壊した家屋が目に見えて増えてきた。地震の震源地と言われるところに近づくにつれ、被害が目視でも大きくなっていった。道路側に塀が倒れかかっていたり、電信柱が道路側を向いて大きく傾いでいたりした。東北の震災では地震の後に大きな津波に襲いかかったので、見渡す限り家が流され跡形もなくなった平坦な被災地映像を沢山見た。そのイメージで見渡すと、建物全てが無くなっているわけではなく、一番被害の多かった場所で道伝いの家々が軒並み倒れているところがあったが、全てが軒並みという印象があるところは一部で、見渡す限りという風景は見受けなかった。
個人についてはかなりの被害が出ている。私が見て回ったのは益城町の街道沿いなので、全体のごく一部に過ぎない。阿蘇の方の被害はインフラも含めて甚大だ。熊本城も元に戻るまでの道筋が全く見通せない。しかし、昨日通った幹線道路に関しては、一部で渋滞はあったものの、交通というインフラはほぼ復旧しつつあった。熊本市内はかなり日常を取り戻しつつある。。。そんな印象を受けた。もちろん阿蘇への幹線道路網は未だ復旧の見込みは建っていないし・・・・橋の喪失などはかなりの時間がかかると思われる。観光への被害も天文学的なものになりそうだ。今から険しい道程になると思うが、着実に一歩一歩復旧に向いているという印象を持った被災状況だった。
| 震災
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2016年05月10日
地震の影響なのだろう。公共的な広報が普段より沢山テレビに流れている。その中に人と人がぶつかって目と目があって諍いになりそうなときに、一人が会釈することによって緊張が解けるという内容の広報がある。その広報の始まりに使われているのが焼き物で、固くて脆いということを表す素材として使われているのだ。確かに焼き物は固くて脆い存在ではあるが、地震が発生して焼き物が沢山割れているときに・・・流すべき広報なのか?と・・・疑問を持たざるを得ない。この国には固くて脆いがゆえに、焼き物を大切に使ってきた文化が存在する。
礼儀と所作を大切にする文化の背景に、一つ一つの素材の特性を把握し、使い方にルールを作り上げてきた文化がある。ルールの積み重ねこそが文化なのだと思う。焼き物のそばで子供が騒いでいれば、諌めるのが教育だろう。焼き物は脆いからその近くで大騒ぎしないのは基本的ルールだ。抹茶碗を愛でるときには厳格なルールがある。ルールを破ったら教養を疑われたりする。しっかりとしたルールで焼き物を使うことの出来る人に乱雑な人はいないと断言できる。固くて脆いものを扱うところには厳格なルールが存在しているし、それを守る体系が存在するからだ。
陶芸の工房にも基本的なルールが存在する。一つ挙げれば工房内では走らないということ。工房内にはまだ焼き固めていない作品が多数存在する。焼き固めていない作品は驚くほど脆い。脆いものを扱う場合は丁重な上にも丁重でなければならない。工房で走るなどはもってのほかの行為だ。何かの拍子に作品にぶつかるかもしれないし、埃が舞ってしまい作品に悪影響を与える可能性もある。つまり工房の秩序は危機への予見性を持って成り立っているとも言えるわけだ。多様なリスクを最小限に治めるために工房のルールは存在している。
横断歩道の些細な接触の先にあることは、安全な社会を保つためのルールを常に考えることだろう。私は今回の地震で亡くなった人が49名(無論死者0を望むのだが)ということを知って、減災という意味で考えれば、かなりだと感じている。熊本の人達のどれくらいの人が震度7が襲いかかると考えていただろうか。おそらく殆ど居なかっただろう。数千人の規模で死者が出てもおかしくない事態だったと思う。人的被害に関して言えば、今の社会に減災に対してのある程度のルールが存在していたのだろう。陶磁器を使った情緒的な広報には疑問が残るのだ、ぶつからないルールを検証し広報するほうが効果的だと思う。一方的に広報される政府広報を見ながらそんなことを考えている。
| 震災
| 14:23
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