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丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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花しょうぶ祭の企画

 来年5月に開催する『天草花しょうぶ祭り』の第1回企画会議。私はこのイベントの企画委員長を務めている。この企画の最大の問題は雨がよく降るということ。菖蒲の咲く頃は、だいたい梅雨の入りということが多く。毎年雨に悩まされている。今年は5月の20日から開催するか、27日から開催するかで日程を見直してみた。過去30年間の降雨確率を洗い出し、5月27日前後の雨の確率が多い場合、5月20日開催で進めようと考えていたが、調べてみるとほとんど雨の確率は変わらす、変わらないのであれば5月27日開催で進めたほうが、良いという結論に達した。

 花の見頃は5月の後半のほうが確実性が高い。5月の27日で3分咲きくらい、20日であればようやく蕾がという段階ではないか・・・そう考えれば、やはり5月27日開催のほうが良いという結論だった。当初、私は5月の20日と27日では、降雨に関して明らかな偏差があると考えていたので、調べてみて少し驚いたが・・・最終的に日程を変則しなくても良かったので、良い方向に落ち着くことが出来たと思う。30年という時間軸で平均をとってみると、ほとんど違いがないということで、すっきりとした結論をつけることが出来た。

 花しょうぶ祭りは晴れていれば土日で10000人程度の来園者があるイベント。これが雨になると半分以下の来園者となる。雨が降ると半分以下になるということは、食品で出店しているところにとっては死活問題。晴れるととても気持ちの良い気候なので、弁当を求める人も多いが、雨で人出が減るととたんに弁当などが売れなくなる。野外のイベントにとって雨は常に厄介な事象なのだ。陶器は腐ることもないし、その日に売り切る必然もないが、弁当や生物を売る人達にとっては、その日の天候は博打を打つようなものだと思う。もちろん、それ以外の業種でも天気が悪いと客足も減るわけで、雨は恨み事に近い。

 集客についての企画も、一度振り出しに戻って考えて行こうと思う。花しょうぶ祭りをこれからどうするのかも含めて考えてみたい。西の久保公園はほんとうに良く出来た公園だ。華美ではないところや、全体が広い公園点もよく出来ている。広いというメリットを生かし、様々なことを行える場所だと思う。そこをどう使うか・・・我々の知恵が試されると思う。公園に来る人達が花を愛でることと同時に何を求めているのか・・・その辺りから、じっくりと考えを進めていきたい。基本的なノウハウとやる気はあるのだから、どのような未来を見つけるのかを考える必要がある。企画委員会の最も重要な仕事は未来を指し示しながら今の計画をたてることだろう。そのことを肝に考えてみたい。
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| 町を考える | 11:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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何処を目指すべきなのか

 陶芸展が終わり気が抜けた状態が続いている。昨日は栃木県の益子より民芸関係の人がやってきていろいろと話しをした。濱田庄司氏のお孫さんや益子の陶芸家、副町長さんたちが8名来窯され私の祖父のことなどを話した。私の祖父は戦前から戦中・戦後と9年間益子で陶芸の指導をしていた。その当時の記録が残っていて、今回の訪問につながったのだ。窯業の指導所の初代の所長だったので、幾つかの作品も残っている。祖父が貰ったものなので今では曖昧になってきているのだが、はるばる益子より来ていただいて、見て頂いたことは嬉しい出来事だった。祖父は私が高校卒業の年に亡くなったので、今年没後40年ということになる。私はその2年後陶芸の道に進んだので、祖父から陶芸の話はあまり聞いていない。ただ、孫の誰かに陶芸を行って欲しかったのだろう、孫の誰彼となくそこはかとなく陶芸のことを話していたことは記憶している。

 考えて見れば私の工房は5代続いている。およそ170年位の時間同じ仕事を行っていることになり、継続するということを一つの柱として工房ができている。代を重ねることは今の時代、時代に対する逆行に近いところがあるのだが、私は逆行のようなことだからこそ、とても重要な行為だと考えている。現代は親の仕事を子供が継ぐということが少なくなってしまった。理由は賃金仕事が当たり前となり、職業選択の自由ということで、生まれたところを離れて生きるということが当たり前になってきたからだ。実際私の同級生なども半数以上の人が故郷を離れ、他所の土地で生活している。もちろん、仕事がなくて他所に出ていくしか方法がないという現実もあるが、地域に残って生きていくことも、重要な事なのではないか。この土地に住み続ける方法として考えれば、代を重ねるということも意味の有ることのように思えてくる。

 雇用が安定的に在り、人口が集中している都市部ではこれからも人口の集中が起こるだろう。仕事が見つけやすく、職能さえ身につければ、安定した人生を期待できるからだ。週休二日が当たり前・・・これから先は週休3日も視野に入ってくるだろう。長い人生を考えた時に選択の第一候補となるのはよく理解できる。ただし、全部が全部そうなるってしまうと、天草のような地方には若い人は残らなくなってしまう。これからの地方は今よりも長いスパンで、方向性を設定して、継続可能な地方を作り上げるために方策を進めていかなければならないと思う。そのために必要なことは陶芸のような地場産業を作り上げ、それを柱の一つとして地方を作り上げる必要があると思うのだ。グローバルはグローバルの土壌で進化があるように、ローカルはローカルの土壌での変化していくべきなのだろう。

 私自身は本当に一条の光ではあるが、進むべき道が見えてきたように思う。まだ天草の陶芸は産業というところまでは至っていないが、地域にとって重要な可能性を示すことが出来はじめていると考えている。まだ頭のなかに薄っすらと見え始めているにすぎないのだが、長い期間考え続けたことでもあり、うまくいくかもしれないと思い始めたところだ。私は常に『何処から来て、今何処にいて、これから何処に行こうとしているのか』を考えることにしている。順風なときはもちろんだが逆風が吹くときにも、この言葉をよりしろとして考えを進めている。今の私はようやく何処に行くべきなのかが、見えてきているところなのだろう。ここに焦点を充ててもう一段二段深めていかなければならないと思っている。来るべき地方の時代に向けての取り組みだと思い始めている。

| 町を考える | 12:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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9月18日にステージ開催す。。。

 芸術文化協会のステージ企画が台風で中止になり、昨晩、善後策を出演者を交えて話し合った。出演団体はおよそ20団体ほど。それに個人参加の人も含めおよそ25名、加えて実行委員会の責任者、会長・副会長も出席していたので、およそ30名ほどの会議となった。実行委員長の私が中止に至るまでの経過を報告し、開催できる日を一日だけ提案。この時期は様々な行事が詰まっており、今月開催できる日は18日のみという提案だった。10月になるとステージの日程はさらに詰まっており、協会としても次のイベント開催も迫ってくる。私自身、11月のはじめは天草大陶磁器展が控えているので、9月開催以外は考えられない状況だった。私の予想は出演不可能な団体が、いくつも出てきて結局のところ中止になるのではないかと思っていたが、あにはからんや・・・ステージの練習を続けてきたので、ぜひともやりたいという意見が圧倒的で、ほぼ全会一致で18日に延期するという結論となった。中には助っ人を招聘するという団体もあって、ステージに対しての出演者の強い思いを知らされる結論となった。

 私にはステージに上がることに対する特別な思いがない。以前・・・素人演劇のようなことをやったことがあり、主演を張ったこともあるが、絶対にステージに上がりたいという思いは全くない。座長から指名されて仕方なくという気持ちが強いので、ステージに特別な思いなど無いのだ。それに加え稽古も嫌いだし、セリフを覚えることはもっと嫌いで、そんなこんなでステージに対する思いは希薄なのだ。昨日の会議では出演者のステージに対する思いを垣間見た気がして、改めてしっかり企画を再構築しなければという思いに駆られている。18日は別件の用事が入っていた。4月開催の牛深ハイヤ祭が地震の影響で中止になり、9月18日一日だけの開催されることになっていた。私が主宰する丸尾會も出場することになっていたのだ。どちらも天災の影響による中止。。。変更された日が9月18日と不思議なめぐり合わせだが、會長不在の遠征となりそうで・・・こちらは心苦しい。18日は花火大会も予定されており、天草市の窯元による合同窯出しも企画している。盛り沢山過ぎる内容に・・・すでに相当な勢いで・・・疲れつつある。

 台風情報は常にチェックしている。移動する速度が遅くなったり、早くなったり。そのたびに天草周辺にやってくる時間が遅くなったり、早くなったりする。今現在の予報では天草周辺を通過するのが明日の午後の遅い時間。その時間であれば、週末に開催された展示会への影響は最小限に抑えられそうで、その意味ではホッとしている。台風情報は正確に予報が出ているが、天草への情報は未だ不完全だ。九州南部が暴風域という表現では、どの街を指すのか全く判らない。ピンポイントの天気については相当正確になってきているので、すぐに天草に暴風が襲いかかるのが何時何分になるのかが、もうすぐ判るようになるだろう。雨の情報はすでに速報が達成されつつあるのだから、風の吹き方が正確にわかるのであれば、この場所にいつから暴風が吹き始めるかが、正確に判るようになるだろう。今、自分が何処に居るかが判りさえすれば、何分後に風速10メートルの風が吹き始め、何時間後に25メートルの暴風が吹くかが判るようになるに違いない。

 おそらく、あとしばらくすると台風情報が今の降雨情報と同じようにスマートフォンに配信され、位置情報で何処にいるのかが判り、その場所に何時間後に暴風雨が吹き始める・・・といった情報が瞬時に伝わるようになるだろう。すでに降雨情報はそうなっているわけだから、システムさえ作り上げれば今でも配信できるはずだ。テレビではあいも変わらず、九州南部が暴風域にと表現されているが、それは過渡期の方法だと思う。そう考えれば、これからの情報は、全てパーソナル化されていくだろう。私の今いるところに何分後に雨がふるのか、風速15メートルの風が何分後に吹くのか、そういった情報はブッシュされ、今日の夕方の天気はどうなるとスマートフォンに問いかければ、スマートフォンが瞬時に答える世界になっていくのだ。イベントの時に台風がやってくると、人工現実でステージを配信するようになるかもしれない。そうなれば台風の時は部屋にいながらイベントが楽しめることになる。そんなことはつまらないと苦笑しながら。ステージの日程変更にバタバタしながら、そんなことを考えているのだった。
  

| 町を考える | 15:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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頭は先にゆく

 先週と今週は随分と考える日々が続いた。そのせいもあるのだろう・・・かなり疲れている。疲れている証拠は頭を使うことを体が拒否しており、小さな仕事に対しての対応の遅さが際立ち始めている。昨日はFAXを送るのに半日くらい掛った。なんだか億劫なのだ。。。恐らく端から見ればボーッと座っているオジサンという印象なのではないかと思う。先週から今週にかけては、暗がりにスポットをあて覗くような仕事ばかりだった。そのせいで疲労感が募ったのだろう。私の場合、何かを考えるときには・・・例えば天草の20年後を考えるような時には、20年後の風景か頭に浮かんでくることが多い。全体が観えることもあるが、多くの場合、特徴のあるスポットの風景が浮かぶ場合が多い。20年後の天草という言葉で浮かんだイメージは、人影の疎らな郡部の情景だった。先週から今週に掛けては、異なるイメージを探ることばかりしていたので、今日のような疲労が襲ってきているのだろう。

 加えて、大陶磁器展の予算組の見直しが迫っている。これも一つ一つ情景が浮かんできて、より大きくするのか、今のままで良いのか、縮小するのかを決めなければならない。企画委員会で議論した内容を否定するようなことになるので、疲労感の強い今の私はあまり触りたくない課題だ。ビジョンという言葉の意味は闇を光で照らしてみるという意を含んでいるようで、先週から今週にかけて・・・私はそれを繰り返してきた。もちろん全て完全に見えたわけではないが、頭の中に情景を作り出す作業はとても憔悴する行為だと思う。もう一つ疲れる要素としてあげれば、未来の風景は、あらぬ方向へとワープすることが多い。妄想というわけではないが、一つの風景が浮かぶと、それに付随したイメージが、畳み掛けるように浮かんでくる。ボーッと長い時間その世界を覗いていることも多い。

 この2週間継続してきたことは現実と向き合うことだった。未来の情景も基本は現実の先に存在することだからだ。現実故に疲れるのか、それとも困難な未来に対して疲れるのかは定かではないが、これから先・・・人口が減少するところの住人は、未来に対しての自らの役割に対し疲れを感じるに違いない。私が住んでいるところは、天草でも一番人口減が少ないところだ。これから先10年後もほぼ今の状況を保てるかもしれない。私が日常的に天草の危機感を抱かない最も大きな理由は、私が住んでいるところは、現状を・・・完全ではないにしろ維持できているからだと思う。しかし、隣の町に行けば持続不可能に思えるところが多数見受けられる。このような限界集落に近いところを、どうやって再構築していくのか。答えを出していくのか・・・本当に骨の折れる仕事だと思う。

 陶芸家の八木一夫氏は作陶に関して『頭は先にゆく』と言う言葉を表した。頭は常に先を歩いているということだと、私は解釈している。アイディアは無数に存在していて、その中から表現できるものを作り上げる。八木一夫のように前衛を目指した作家は常に頭で形象を考えていたのだろう。これからの継続に赤信号が灯っている地域は、『頭は先に行く』というくらいの覚悟で何事にも取り組まなければならないと思う。何故なら・・・現代にとって、衰退する地方を再生するということ自体が、前衛的な行為にほかならないからだ。『何処から来て、今何処に居て、今から何処に行くのか』地方再建の鍵はここにあると思う。疲れることではあるが・・・向き合わなければならない課題だと思う。疲れることではあるが、我々は歴史によって試されているのだと思う。

| 町を考える | 12:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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会議を重ねている。

 仕事が山積している。陶芸の仕事も差し迫っているのだが、それ以外の仕事もかなり溜まって来ている。天草大陶磁器展の部門別の企画・立案。伝統工芸協会のイベントの企画・立案。天草ハイヤの共演の準備。丸尾會の祭りの準備。天草の窯元マップの企画・立案と制作。書き連ねてみると気が滅入るような量の仕事が私の真横に横たわっている。私自身。今年の目標として、会議を重ねるという方針でいどんでいるので、会議に忙殺されている状況だ。面倒くさいといえば面倒くさいが、会議の成果も次第に現れつつある。大きなテーマについては、さほど会議を重ねなくても処理できるが、小さな企てに関しては、会議を重ねることにより課題が浮かび上がってくる。

 天草で行われる一般的な会議は大きなことを決めて(というか決めたという体裁を取って)、あとは事務的なこととして処理することが多い。今年の私は本来であれば、事務的なこととして処理することも、しっかりと話し合うことで、細部が充実してくる。デティールに神が宿ると言う言葉があるが、イベントをしっかりと構築するためには、細部の話し合いはとても重要な要素だろう。そう思った理由は、参加した多くの会議が、前年並を前提にして行われているからだ。昨年並に物事を作り上げればそれで良しという風潮に対して、それで良いのだろうかという自問が有った。今の天草市は基本的に前年度よりマイナスで次の年の計画を立てている。それは今後も続いていくだろう。人口が減少し税収が減り、予算規模が小さくなる。そういう未来が判っているのにもかかわらず、会議はほとんど前年並ということで開催されている。

 これではジリ貧にならざるを得ないと私は以前から感じていた。前年度より予算が少なくなり、企画自体が年々縮小していけば、規模も年々小さくなってしまうだろう。それを避けるために必要なことは、会議を重ね智慧を出し合うことだと私は思う。私が色々な会議に出て受動的な立場で出席して思うことは、前年並という全体の構図と議論の不足。企画自体の理想の欠如。そういった諸々が集積して変化を拒んでいるということだ。拡大しつつある自治体の場合は、平年並みを繰り返しても自然増加が期待できるだろう。しかし、縮小している自治体は基本的には自然減が継続しているわけだから、前年並という会議を重ねて企画を立てても、前年度以下の実績しか出せないだろう。これからの企画は毎年・・・・1から考えるとことを重ねないと、上手く回らなくなることは、目に見えていると思う。

 陶芸の企画に関して話し合いを重ねている。会議を重ね様々な議論を重ねることにって、企画の最適解を探ることが出来る。神様ではないのだから唯一の正解を出すことは難しい、しかし、最適解ならば・・・話し合いを重ねることにより、見い出すことが出来るのではないか。勿論、事前にレジメを作ったり、議論の方向性について検討したりと面倒に感じることは多い。しかし、これが当たり前だと思えば、正当な議論だと考えれば、面倒は苦にならなくなる。逆に考えれば、それ以外の会議がいかに安易なものであるかに思い至るのだ。衰退しつつある町には・・・残された時間はあまりないと言われているにもかかわらず、旧態を繰り返しているのかもしれない。それこそが危機の本質なのかもしれないと思ったりしている。

| 町を考える | 14:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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