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丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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転換点を迎えている

 世界情勢を眺め考察すると、今年が尋常な年ではなかったことがはっきりする。アメリカの大統領選挙。中国の経済衰退。韓国の大統領の問題。北朝鮮の核。ロシアの強硬姿勢。イギリスのユーロ離脱。日本では天皇の退位の問題。のちの世代が今年を考察すると、世界史の転換点だったということになるような年・・・という評価になるに違いない。熊本県も今年は大震災が起こり、熊本城の被害などを見ると大きな災いが発生した年。阿蘇の噴火も基本的には収まっていないということで、その点でもとても気になる年回りだと思う。

 世界情勢がこれほど動くということは、やはり何らかの時代のエネルギー。共通項があるのではないか。結果として、これから先どういう変化が起こるのだろうか? 漠然とではあるがこれからの変化について考えている。私は今年の変革を受け・・・来年は本音の時代に突入するのではないかと考えている。保守回帰だと話す人も多いが、保守とは何かという、そもそもなりが今ひとつ明確でないので、世界が保守回帰という方向に向かうとは私は考えない。世界は保守回帰というより、ナショナリズムへ回帰に向かうのではないか。イギリスにしろ、アメリカにしろ、ロシアにしろ、その方向へ進んでいるように思えてならない。

 熊本も天草もどちらかと言えば、地域回帰するのではないか。理由は世界がその方向へ進んでいることと、地域としての再生という方向へ、向かうのではないかと考えるからだ。モノを作る人間にとって世界や地域が、どの方向へ進むかを見定めることは、とても重要な視点だろう。というよりも・・・むしろデザインを行う上で一番重要なことは、今から世界や地域が、何処へ向かうのかを予測することだとさえ思う。保守ではなく地域へ回帰することは、この国や土地にあるものを、見直す時代がやってくるということだろう。しっかりと見渡して、そこに存在する何かを探せば良いのだから、簡単なことではないかと・・・思いを巡らしているところだ。

 今年は激動の一年だったと、あとからいわれる年であることは間違いない。来年も同じように様々な動きが結果として現れてくるだろう。今のままが良い人達にとって・・・過ごしにくい時代かも知れないが、世の中の固定化が進んで息苦しいと感じている人達にとっては、展開が開けて見えてくる年になるだろう。ありとあらゆることが転換点に差し掛かっているのではないか。人の想いの表現形式である選挙の結果からもそう見えるし、世界情勢を見てもそう思える。大変な世であるに違いないが、案外面白い時代に差し掛かっているのかもしれない。新しい秩序がはっきり見えてくるまでには今暫く掛かるのかもしれないが、しっかり考えていけば・・・良い方向へ向かえるようにも感じている。だから人の世は面白いとも思う・・・
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| 国を考える | 17:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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間違いを重ねる識者

 この一年間くらい世界が混沌としているのだろう、仕事をしながら聞いている世界情勢についての論評が、混乱を極めている。識者と言われる人たちが様々な角度から世界情勢を分析しているのだが、現況についての解説はおおむね似ているのだが、結論となると実に多様で・・・一体どうなってゆくのかわからない状況に突入しているのだと思わざるをえない。今までであれば識者の予想はある程度の近似値に収斂していたのだが、今では予想の範囲が違いすぎて予想しているというより、願望のようなことを話しているケースが増えてきている。アメリカの大統領選挙などがその典型例で、本来であれば予想不可能という答えが正しかったと思うのだが、大方の人はクリントンの勝利を予想していた。

 何故そうなるのかを考えれば簡単な話で、クリントンの勝利を予想する人が多かったからだと思う。識者の最大の弱点は大方の予想を指示することで、そのほうが予想が外れても失点が少ないということなのだろう。今回の場合はクリントンが勝利すると予想する人が多かったわけで、皆も間違えたのだから自分が間違えてもしかたがないという論理展開となる。皆で間違えれば怖くないということなのかもしれないと思う。もっとも全米の投票傾向を分析して、その結果クリントン有利だと言われていたのだから、そういった見方をするほうが正当といえば正当なのかもしれないが、トランプを予想して一人外してしまうことは、識者としての立場が失われることを意味するはずだから、やはり識者のマジョリティとしてはクリントン有利が都合が良かったのだろう。

 最近の識者は予想を外し続けている。これは何を意味するかといえば、ひとことで言うと安定した秩序の崩壊が進んでいるということだと思う。例えばクリントンが大統領になった場合を考えてみるとわかりやすい。恐らく彼女は今までのやり方を堅持しつつ、自分の政策を進めていったはずだ。その場合・・・主流派との合議で政権基盤を作り、従来の方策を進める政策を構築したはずだ。この政治スタイルであれば予測が比較的立てやすい。本流を自認する人達が政策を作るわけだから、今までのような政治の進捗となるはずだ。 ところがトランプ大統領の場合・・・本流というわけではない。今回の大統領選挙では本流と言われた人が、早々と選挙戦から撤退していたのは今回の選挙結果の予兆と捉えることも出来る。

 トランプはいま政治勢力の結集を考えているところなのだろう。様々な人と話をして妥協できる人なのかを人選しているのだと思う。つまり、誰が政権の中枢に入るのか、それによって政権の性格自体が大きく変化する可能性がある。トランプ大統領が良いとか悪いとか今話しをしている人が多いが、それは政権中枢入りする人を見ないと占えないと私は思っている。しっかりとした政権の構築が出来ればトランプはレーガンのような大統領にもなれるだろうし、政権構築がガタガタになれば、それこそ今の韓国のようになってしまう可能性もある。メディアは視聴者がすぐに忘れてしまう存在だと高をくくっているのだろう。安易にトランプを否定するような発言や擁護するような発言がテレビには溢れている。そういった報道が手っ取り早いのかもしれないが、現状をどう見るのか・・・その根本が間違っているような気がしてならない。識者とはせいぜいその程度なのかもしれない。

| 国を考える | 17:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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トランプ大統領で感じたこと

 トランプ氏がアメリカの大統領となることが確定した。昨日は安倍首相がトランプ氏と会談したということで大きなニュースとなっていた。マスコミはトランプを支持した人達はミドルクラス以下の低学歴の人達だったと報道したが、私はこの報道に疑問を感じている。私は今回のグローバル主義・新自由主義の台頭にブレーキを掛けたのは、実質的にはアラブだったのではないかと考えているからだ。更に書けば・・・その基本的なところには宗教が横たわっているように思えてならない。グローバル化や新自由主義は西洋的な資本主義の発展形だろう。アラブはイスラム教。キリスト教もイスラム教もどちらも一神教だ。一神教の特徴は信仰は深くなるが、それ以外の宗教を許容でき辛くなる。ヨーロッパと中東における宗教対立の歴史を見れば一目瞭然だ。新自由主義は、全世界を巻き込んで国境を超えボーダーレスに展開するということ。基本的には西洋的な考え方だ。

 これに反発したのがイスラム圏。彼らは宗教上の理由から・・・固有文化を極めて大切にしている人達だ。新自由主義者は物事を合理的に説明する。逆に考えると彼らは自らを正当化するために学問を構築するとさえ言える。あたかもそれが真理だと思えるほどの論理展開をするのだ。これを勝者の論理構築と考えれば、今起こっていることは比較的簡単に説明できる。世の中には勝つであろう人と負けるであろう人が存在する。経済優先で雇用の移転が行われれば、移転された場所はいきなり敗者の場所となる。そしてそれが正当化されるのだ。今という瞬間・・・これからの人生に不安を感じる人と、感じない人との意思表明として選挙が存在していて、不安視する人達が不安に思わない人を、上回ったのだと私は考えている。

 アラブではそれが暴力的な形で出てきているということは、彼らに正当な選挙というシステムが存在しないからだろう。イギリスが行った選択は当初は驚きを持って見られたが、イギリスの人達がユーロに対しての不公平感と流入するアラブ系の人達の板挟みにあい、それらを是認する人達と否定する人達の葛藤が選挙されたのだと考えれば、今回のトランプ氏と歴史的文脈でつながっていることが理解できると思う。世界中で富の集中が起こっている。それはますます顕著になり、富と貧困の固定化が進行しているように思えてならない。世界中でこれからは母国回帰が起こるのではないか。今の世の中を見ているとそんな思いが湧き上がってくる。

 マスコミ報道も新自由主義者も・・・西洋的な教育を受けて育った人達である。グローバル化や新自由主義に近い理想を持っているのかもしれないが、彼らは再配分化されない富の偏りや、西洋的な近代化の流れに対してはおおむね肯定的だと思う。世界という視点だけではなく、国内にも同様の矛盾が偏在している。今後はこれが地域にまで伝播してくるのだろう。今年の天草大陶磁器店のパネルディスカッションで、私は鶴田一郎氏と『ローカルを極めてグローバルへ』と題した討論を行ったが、今の私はもう一つ言葉が必要だったと考えている。『ローカルを極めてグローバルへ・・・・グローバルを極めてローカルへ』この2つを呼吸のように繰り返すことが地域再生のキーワードかもしれない。

| 国を考える | 11:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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何処から来て、今何処にいて、何処へ還らなければならないのか。。。

 今回の陶磁器展で、ディスカッションを沢山行おうと考えた一番の理由は、グローバルという考え方に辟易していたからだ。資本主義経済も最初の段階では、有効な経済発展のメカニズムだったのかもしれないが、経済規模がこれだけ大きくなると、巨大資本に抵抗できなくなる。資本はもちろんだが、情報、利便性など、グローバルの中心に位置する人達が圧倒的に優位になってくる。この数年間・・・新自由主義などと言われると、絶望的な気持ちになることが多かった。国境が意味を成さなくなり、生産する場所が賃金の低いところへ流れるとすれば、日本の地方はどうやって生きていけば良いのか。勝者が勝者の論理を振りかざして、世界を正当化していけば、中央でないところで生きていく人達はどうなるのだろう。私が考え続けてきたことは、煎じ詰めればこの一点に収斂する。私は4年ほど前にこれからの地方は、資本主義経済からの脱却しか、他に方法はないのではないかと考えた時期さえあった。

 この傾向に変化が起こっていることは、今の世界を見回せばすぐに理解できる。アメリカでさえ、大統領選挙でナショナリズムが台頭しており、どちらが勝つのか予断を許さなくなっている。巨大資本が世界を席巻し、生産地を賃金の低いところへ移動すれば、それまで生産を行っていたところは壊滅的な被害を受ける。アメリカでさえ衰退した都市は、基礎的産業の海外移転である場合が多い。グローバルに成長するためには、国内においても局地的に大きな衰退が起こるのだ。このことに対しての反発が世界中で起こっている。ヨーロッパなどを見ても、移民に低賃金の仕事を奪われた人達の反発が顕著になっている。誰が考えても、持続的な発展を得ることが難しくなっていることは明白ではないか。日本を見ても2%のインフレ目標が未だ達成されていないのが現実だ。

 パネルディスカッションの文章の冒頭に、陶芸家の卵に話しをする機会があったと書いた。私の感覚では陶芸家の修業はつまるところ、徒弟制度である。徒弟制度の歴史を調べてみると、およそ700年から800年前に職制として成立したようだ。このやり方で日本はかなり長い期間、徒弟という制度に準じ生きてきたことになる。明治維新に西洋の制度を取り入れ、日本は近代化を急速に行ったが、初めの頃は徒弟制度も共存して行われていた。つい最近までは徒弟制度もいろいろなところで残っていたが、今ではほとんど西洋型の職業制度が当たり前になっている。徒弟制度は今ではブラックな仕事に区分けされているのではないか。本当か嘘かわからないが、大企業では週休3日を検討するところも出てきているという。ITで様々なことを行うようになればそれが可能なのだという。だとすればそう遠くない将来、週休4日が出てきて、そのうちに週休7日という会社が生まれるのだろう。

 そう考えた時に、私はもう一度徒弟制度を考える必要があると感じたのだった。理由を挙げれば、これからの地方は特別な場所を創りあげなければ、埋没してしまうと感じたからだ。もっともすでに大半の地方都市は埋没しつつあるのだが・・・卓越した物を作り出すためには卓越した技術が必要だ。そのためには卓越した職人の技術が必要となる。『我々は何処から来て、今何処にいて、今から何処に還るべきなのか』 恐らくこれからの地方は、このことをもっと強く意識して地域を作らなければならなくなるのだろう。今、私が考え始めていることは、パッケージを含めた地方の再構築なのだと思う。そのためには手仕事や徒弟制度や、古いと思われている価値感が、再認識されなければならない。ものを作る仕事が機械に奪われてしまう世界が本当に豊かな未来なのか、徒弟制度は本当にブラックな仕事なのか・・・そんなことを考えることが日課となりつつある。

| 国を考える | 18:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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男子400メートルリレー銀メダルと東京五輪。

 オリンピックの男子400メートルリレーで日本チームが銀メダルを獲得した。アメリカは3位に入りながら失格。日本人の緻密なところと、アメリカの大雑把なところを、同時に見ることが出来とても興味深かった。日本人は技を磨くことに長けた民族だと、あらためて感じている。対照的なのがアメリカ。彼らは個人の力を信奉しているので、走ってタイムが良ければ、それ以上あまり考えないのかもしれない。今回の大会も前回同様ジャマイカの選手たちに、明らかに力負けしていた。優勝できないことを戦う前の段階から感じていたのかもしれない。数字を並べると勝つ理由が見当たらない。そんな雰囲気が最初からあったように思えた。日本チームはバトンの繋ぎを練習し、どうすればゴールまでの時間を、短縮できるか・・・訓練していたように見えた。私の予想では3位・・・銅メダル。銀メダルをとったことは予想外の結果だ。

 期待されているということは、力にもなるがプレッシャーにもなる。重要な事は期待されていることを、どうやって力に結びつけていくかということだろう。おそらく今日のバトンワークは一つ間違えばバトンを落とすということにつながりかねず、優勝に手が届く記録を持っていれば試さない方法だろう。そういう意味では伸るか反るかという面もあったと思う。ただ、力の無いところが、力のあるところに対抗するためには、今日のような技を繰り出していくほかなく、そういう面から考えても、よくやったと賞賛されるべき結果だと思う。このことはおそらく日本人の特性だとあらためて感じた。日本は資源に乏しく、国の面積も大きいというわけではない。そんな条件の国が世界と渡り合うためには、勤勉な国民性を発揮する他に勝ち目はない。アメリカや中国のように・・・大きな国土と人口を抱えた国とは、違った方法で国を作るしかないのだとあらためて感じた。和をもって尊しとする。この言葉が日本なのだとあらためて思っている。

 会場の様子がテレビで流れているが、観客席に人が疎らだ。ブラジル開催が決まった当初。。。フリックスのメンバーで、これから経済発展することが約束されているように見えた。50年前の日本も同じだが・・・オリンピックを契機に経済発展することを予測されていた。ところが、ワールドカップを開催したあたりから、経済に陰りが見え、2年後のオリンピック開催時には、大統領が更迭されるような事態に陥ってしまった。中国を発端とした中進国の経済が、悪化の一途をたどり始めた。ブラジルは資源国だが、資源を購入する国がなくなれば、経済は一気に悪化する。今はそういう状況が押し寄せているところで、強盗なども発生・・・そのせいもあるのかもしれないが、海外からのお客も思惑ほど多くなかったようだ。オリンピック以後のブラジルがどうなるのか・・・世界の趨勢とも密接に関わってくるのだろう。

 明日は閉会式だそうだ。大きなテロを心配していたが、今のところその心配も無さそうだ。中東のテロルもブラジルまでは届かないようで、テロルが世界規模で発生するということも、今のところは無さそうに見える。小池都知事がどのような勝負服で旗を受け取るのか・・・世界にアッピールできるような服装であることを願っている。4年後はいよいよ日本での開催となる。まだ4年もあるということなのか、4年しかないということなのか。おそらく今の外国人旅行者の激増ぶりを考えると、4年後は未曾有の人が日本に押し寄せてくるだろう。欧州が危機的状況である現在。日本は世界の観光スポットになる可能性を秘めていると思う。安全で安心。そしておもてなしに長けた日本の構築。そういう日本を創りあげなければならない。

| 国を考える | 13:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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