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丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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考えるプロセス

 師走とはよく言ったものだ。12月の半ば近くになると色々要件が増えてきて、何から手を付けようかと慌ただしく思う。今の私の仕事は全体を考えることと、部分を考えることが交差していて、全体を考えることと、部分を考えることは、脳みその別のところを使う行為だと思っている。全体のことを考えるときには、漠然とした脳の部分を使い、部分的なことを考えるときは、明確な脳を使うように思う。全体を考えるときは頭の上が開けている必要があり、部分を考えるときは一点に集中する、脳の使い方が強いと思う。私の感覚のことなので、皆が同じなのかは分からないが、私が思考するときはそういう使い方をしているように思う。

 交互に考えを巡らすことは効率的だと思う。全体を考えることは私にとっては、山の上に立ち全体を眺める行為に近い。眺めを漠然と見ながら、俯瞰視している感覚といえば良いのだろうか。何処が調和が取れていて、何処が不協和なのか。何処に力を注ぐと・・・より良いものになるのか。あまり直接的に見てしまうと全体が見えなくなる。遠望に近い感覚で全体を考えたほうが良い形になるように思う。。。部分を考えることは、双眼鏡でのぞく感覚に近い。焦点を定めながら、一点に集中するような感覚。この2つが交差しながら物事を考えるのが、一番捗りやすいように思える。私にとって考えるということは、風景を眺めることに近いのかもしれない。

 どっちが得意かと言われると、どっちも同じくらい楽しい作業だ。全体を考える作業は調和がとても重要だと思う。何処に進むべきなのかを考えながら、ハーモニーが出来上がることを、楽しむと言えばいいだろうか。向かうべきところは・・・はっきり判っていることが多いので、悪いアイディアを除き、まっすぐ進むべきところを定めながら考えていけば、必ず良い方向が見えてくる。我欲が入ったり、自己的な考えが強くなると、絶対にうまい方向へ進まない。虚心坦懐に全体を見れば自ずから答えが見えてくる。部分を考える仕事はあまり虚心坦懐に進めていけば、単調になる場合が多い。基本ラインは同じでも、濃淡をつけなければ良くならない場合が多い。濃淡は探していなければ見えてこない、さらに言えば・・・興味津々である必要がある。しかし、基本は全体と同じなので、ディテールを見つけるときに双眼鏡や顕微鏡を持っておけば、案外うまく計画を建てることが出来る。

 今は来年に向けた様々を考えている。考えることだけではうまく行くわけはないという人も居るが、考えもしないでうまく行くわけがない。考えるということは・・・想定することでもあるからだ。もちろん、思い通りにはならないかもしれないが、よく練り上げられた企画であれば、多くの人が支持してくれることが多い。人が支持してくれることは良い企画ともいえるわけで、何事によらず人に触れる大義名分があったほうが、物事がうまく運ぶように思う。考えるということの妙味は、このあたりにあるのではないか。もちろん現実世界に生きているのだから、紙の上に書いたように物事が進むわけではないか、紙の上に書いたように進むわけではないからこそ、考えるプロセスが重要になるように思う。
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| 生きること | 18:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日常という地平

 金憲鎬氏と私はほぼ同じ年令。この3年間ほど毎年天草に来てもらい、仕事の様子を若い作り手に見せてもらったり、モノ作りの思いを話してもらっている。金憲鎬氏の前に天草に来ていただいていたのが、鯉江良二先生。5年ほど私の工房に毎年来ていただいていた。鯉江先生は日本を代表するような巨匠。次男を半年間だが預かっていただき、指導して頂いた。鯉江先生の素晴らしさは人間性から発していると思う。天草の若い作り手は鯉江先生の姿を直接、見ることが出来て幸せだと思う。巨匠の佇まいを見ることが出来るのは、本当に稀有な経験だ。鯉江先生が陶芸家として、どんな息遣いかを直接見る機会を持てたことは、将来の若い人にとってかけがえのない財産になると思う。鯉江先生は私に『人を掘れ』と書かれた。この言葉を肝に銘じ、私は陶芸という行為を考え続けている。

 金憲鎬氏とは年齢が近いということもあり、色々なことを話す関係だ。金さんは作家として仕事を続けている人なので、陶芸の産地形成を考えている私とは方向性が違っている。瀬戸という産地に育った人であり、そもそも産地形成などという、馬鹿げたことは考える必要はない。技術について話になった時。金さんは技術は必要であれば獲得するものだと話した。産地の場合・・・技術は転がっているのだろう。天草の場合は技術は意識しなければ、消え去ってしまうものだと考えていたので、その言葉にハッとしたことを鮮明に覚えている。考えてみれば陶芸ほど模倣の容易な仕事はないかもしれない。粘土という類まれなマテリアルを使い、培った技術で手業を模倣するのだから、技術を獲得することは、さほど難しいことではないとも思う。技術とは何なのかをもう少し深く考えていかなければならないと、思い至ったのは金憲鎬氏のおかげである。

 昨日の日記に書いた金さんにとっての珈琲。それは彼の立つ場所を明確にした地平のようなものだ。大坊氏の仕事を見て『大坊勝次になりたいと思った』と金さんはいうが、人生の基準点を自ら設定することにより、日常に線を引いたとも言えるだろう。日常とは何なのか・・・『日常とは自らの基準線』だ・・・私は考えている。人はその基準線を定規として使いながら、自らを律していくのかもしれない。作家として金さんを考えてみれば、珈琲と大坊勝次という基準線を引いてしまえば、その基準線を伸ばしていくことにより、様々なインスピレーションを得ることができるはずだ。地平線が高ければ高いほど作品は昇華されたものになるだろう。鯉江先生の地平が鯉江自身なのに対して、金憲鎬氏は冷静な他者を含めてのラインが有るように思える。鯉江氏は瞬発の人だと思う。対して金氏は冷静な地平を持つ人だと思う。日常をどう考えるのか・・・それは陶芸作家にとっても重要なことだ。

 若い陶芸家がこの日記を読んでいるとは思わないが、ものを作る人間の矜持として、日常の何かに拘ることから始めればいいと思う。お茶でも良いし、謡のようなものでも良い。出来れば孤高な人が存在する形のない何か。あまりにも高いものであれば、線自体も高くなりすぎるかもしれないが、自分がどうなりたいのかを考えれば、高みに線を引いてみることも重要かもしれない。同じ仕事の頂きを目標にするよりも、違う頂のほうが線が引きやすいとも思う。そう考えれば金憲鎬氏の選択は見事だと言わざるをえない。日常を高めることが出来れば、それは必ず人生に反映されるだろうし、作品に変化が起きるだろう。どんな仕事であれ、仕事を決定付けるのは紙一重の違いだから、紙一重の違いを作る根源が日常なのだと思う。禅僧の場合は掃除という日常を繰り返すことにより磨かれてゆくと聞いたことがある。丸を書き続けることにより高まっていくとも聞いた。日常をどう捉えるのか・・・日常をもっと考える必要がある。

| 生きること | 01:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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バッグから考える身の回り・・・そして珈琲へ

 この2日間・・・バッグについて考えていた。技を自分の身に付ける・・・身ひとつから始まり。自分が普段身につける身の回りについての考察を進めたことになる。身の回りと書いて気がつくのは、私の仕事である陶芸もまさに身の回りに存在するモノということ。今回の陶芸展でゲストとして来てもらった金憲鎬氏は著名な陶芸家でもあるが、珈琲についても造詣の深い人だ。彼との話の中でいまはなき『大坊珈琲』の大坊勝次氏のコーヒーを飲んだ時に、珈琲との素晴らしい出会いがあり、それ以来・・・珈琲が自分の軸になったと話をしてくれた。身の回りに珈琲という軸が出来ることにより、自分の基準点が出来上がったということだった。金憲鎬氏の工房を訪れたことのある三男は、そこで出してもらった珈琲の味が素晴らしかったと、朝と昼と夜とでは珈琲の味が違ったと、今でも興奮気味に口にする。金憲鎬氏には身の回りに格別の基準があるということ・・・つまりはそういうことだと思う。

 金さんは珈琲に基準点を持つことにり、自らの仕事を高めていった人なのだと思う。大坊珈琲店の大坊勝次氏に魅せられて、そこに基準を置くことにより陶芸という平原にも基準点を見出した人といえば良いのだろうか。私が普段飲む珈琲は、ネスプレッソマシンで抽出するアルペジオというカプセルだ。私はこのカプセルを、かれこれ10年位は飲んでいる。自室の机のそばにもエスプレッソマシンが置いてあり、マシンで入れた珈琲を今も飲んでいる。私がエスプレッソマシンで淹れた珈琲を常飲するのは、味が一定していることとアルペジオというカプセルが、私の許容出来る味だからだ。珈琲という身の回り一つとっても金憲鎬氏と私との違いがはっきりしてくる。もちろん、どっちがという意味ではなく、大坊勝次氏との出会いで珈琲という基準点を見出した金氏と、珈琲に平均点を求める私は、基準をマシンに委ねたということだが、モノ作りとしての展開の違いもその辺りにあるのかもしれない。

 大坊勝次氏と金憲鎬氏には今年の天草大陶磁器展に来ていただき、私の工房でそれぞれの珈琲を淹れて貰った。その時書いたパンフレット用文章があるので、それを紹介したい。

『大坊珈琲の時間』を楽しむin丸尾焼 Vol2

 大坊勝次氏がポットを握り抽出作業に入ると一瞬で静寂が訪れる。そこに居る全ての人が固唾を呑んで見守る。コーヒーを抽出する所作は普遍にも見えるし、融通無碍にも観える。コーヒーという一雫に人生を掛けた存在のみが、表すことの出来る至福がそこに展開されるのだ。一瞬に込められた永遠。飲む至福。今年もそんなひとときが訪れようとしている。

工房珈琲 『キム・Cafe』

 天草大陶磁器展の縁で、瀬戸にある金憲鎬(キム・ホノ)氏の工房を訪れる天草の陶芸家が増えている。山の中にある工房を訪れた人達が共通して口にするのは、もてなしに頂いた珈琲の美味しさ。作品はもちろんだが・・・出された珈琲の美味しさを熱く語る人が多い。キムさんの珈琲こだわりの始まりは『大坊珈琲』だという。今年も大坊勝次氏の天草での『大坊珈琲を愉しむ』催しが決まった頃。キムさんにも連絡を取った。天草で『キム・Cafe』をしませんかというお誘いだった。『いいね』とキム氏・・・どうせなら天草で作ったコーヒーカップで出したいね。ということで・・・10月1日より3日まで、天草に滞在しキムCafe用のキムCAP作りを行ってもらった。何処で店を開きますか???丸尾焼きの工房でどうですか??? いいですよ。。。と、トントン拍子に話は進み。工房珈琲『キムCafe』のオープンが決まった。ケーキを作るのはキム氏の指名で陶芸家の木有子氏。コーヒー抽出協力は懐水集の福本氏。丸尾焼展示室では大坊珈琲。工房ではキムCafe。。。贅沢な贅沢なひとときをお約束いたします。

 珈琲から考える身の回り・・・バックを考えていたら、こんなところに行き着いたりする。人の思いはめぐりめぐるのだと感じている。

| 生きること | 03:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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人工知能とマニュファクチュア・レボリューション

 グローバルについては黙っていても今の方式で事を進めていけば良いように作られている。方向性自体がグローバルだからだ。ローカルについては新たにリビルドしなければならない。ほぼ全体がクラッシュされているからだ。教育一つとっても、現代の教育は西洋的手法で作り上げられている。徒弟制度的な教育の形態は、ほとんど社会の中に組み込まれていない。もっとも徒弟制度がしっかりと、社会の教育制度として存在していたのかといえば、それは違うだろう。明治以前の徒弟制度が学校教育のような形で、普及していたという話は聞いたことがない。国家としての制度が存在していたわけではなく、おそらく家内手工芸的な企業内で、独自文化としての徒弟制度が存在していたのだろう。国が統一国家として教育制度を作った。それは明治になってからのことであり、それ以前は独自の教育を藩や企業ごとに行うのが一般的だったのだろう。

 職人の修業といえば、職域ごとの育成法が存在し、各々独自の育成を行っていた。上手物を作るところと、日用雑器を作るところは、職人のあり方が違っていたわけで、育成方法も職人の指導方法も違っていたはずだ。職域で新しい職人を必要としなくなれば、若い人を育てること自体もなくなった。職人を多く必要なところには明確な制度があり、そうでないところは曖昧とした育成制度しかなかったはずだ。私は新たに明確な職人育成のプログラムを創りあげなければならないと考えているが、それは過去を調べれば出てくるものなのか、調べてみたところで存在しなかったのか、どっちなのか判断がつきかねている。つまり、日本全体に通用するような、徒弟制度的師弟を養成する教育機関が、がっての日本に存在したのかと問われれば、私はなかったと答えるだろう。明治以前の生産で考えれば、国全体をあまねく満たすような、職域が存在したとは考えにくいからだ。

 明治以前と同じようなマニュファクチュア・リボリーューションをこれから行ったとして、日本中をあまねく満たすような共通の徒弟教育が出来るかといえば、それは難しいだろう。地域ごとに歴史も違うし、状況も異なるからだ。ならばどうすれば良いのか・・・地方が独自にビジョンを構築し、それに沿った徒弟教育を考えることから始めるべきではないか。昨日の日記に私は『我々は何処から来て、今何処にいて、今から何処へ還るべきなのか』と書いた。それは前進なのかという指摘もあるかもしれないが、我々が今考えなければならないことは、人が生きていくうえで、どのような地方を作り上げていくのかというビジョン作りではないか。それはインターネットの前にあるわけではなく、まして東京に存在するわけでもなく、いま眼の前に広がっている世界を・・・どう作っていくかということなのだろう。

 将棋にかぎらず、私はこれからの世界は人工知能が、人間よりも優位なところに立つ世界が始まると考えている。おそらくそう遠くない将来に、コンビニ等は無人化して精算も機械が行うようになるだろう。車の移動も人工知能が司るようになるだろうし、金銭や人の価値も機械が判断するようになるはずだ。機械に人が使われるような時代がやってくる。ビッグデーターで人の思考を読み取り、次に何をしなければならないのかを、人に教えるようになることも目に見えている。機械のいうとおりに生きていけば、何も考えなくても良い人生が待ち受けている。中央に行けば行くほどそういう社会になるはずだ。生きたような、生きなかったような世界。皆同じなんですよと言われるような社会。果たしてそんな社会を人は望んでいるのだろうか。マニュファクチュア・リボリーューション これしかないのではないか・・・手で物を作ることを生業にしてきた私の考えは、この方向に傾きつつある。

| 生きること | 18:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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皆で踊れば楽しくなる。

 陶磁器展のパンフレットが刷り上がってきた。あらためて今年はディスカッションが多く、私の出番が多くなっている。多くの人たちと話をすることになっているので、一人ひとりに対応することを考えて置かなければならない。今は身ひとつ・・・近藤良平氏との話の骨格を考えているが、私自身舞踏についての造詣が深いわけでもないので、どのように起承転結をつけるのかを考え続けている。私が少しだけ垣間見た世界は能楽の世界。つまり日本的な社会で成立した芸能の世界だ。対して近藤氏の舞踏の世界は、西洋的な背景で成立した世界だろう。もちろん日本化した部分もあると思うのが、基本は西洋なのではないか。そう思うのだが、本当は文化的に融合したものかもしれないし、あるいはルーツは日本にあるのかもしれないとも思う。私が最近考えているのは、日本という国がこれから先、ローカルという立ち位置で、世界と向かい合うのかということだ。というのも世界はこれから先、グローバルとローカルが対峙する構図になっていくと思うからだ。

 国内においては、グローバルとローカルが先鋭化しながら対立する構図は見えないだろうが、世界を見回せばグローバルとローカルの対立軸は先鋭化しているように思う。これからの日本社会を考えていくと、グローバルを受け入れつつ、世界に対して日本のローカルを広めていくことが重要になってゆくと思う。東京のような中央では、世界的に見ても、グローバルな場所として対応していくことが出来るだろうが、天草のようなローカルの極地のような場所では、ローカルを磨いてグローバルに至るような方法を作り上げて進むしかないように思う。グローカル・・・たとえ小さくても、しっかりとしたルーツを持つ何かを作り上げていくしか、天草のようなところの生き延びる道はないのではないか。何年か前に友だちと話をしていた時、天草を盛り上げるための方法を、いろいろと出してみた。その時に友達が・・・天草をラジオ体操の島にすればどうかという話をした。

 天草中の人達が朝6時半に起きて全員がラジオ体操をすれば、素晴らしい健康的な島ができるのではないかというのだ。私は単純に面白いかもしれないと思った。近藤氏は振付師としても著名な人で、近藤氏に天草小唄の振り付けをつけてもらった。ラジオ体操も天草小唄も、天草の全員が一心不乱に踊るようになれば、とても大きなうねりが起こるかもしれない。例えば郡上八幡は盆踊りで有名なところだが、7月から9月の初めまで毎週末盆踊りで開けて暮れる。郡上八幡に行ったことのない人に、いくら説明しても夜を徹して踊る盆踊りの現実感が、沸かないのだが、実際に行ってみれば、人が生きることの意味のようなものを、見つけることが出来たような気さえしてきて、感動する踊りだと思う。誰が始めたのかさえわからないような盆踊りが、郡上八幡という場所の強烈なエネルギーになっているのだ。もちろんこれは答えではなくヒントだろう。人々が夜を徹して盆踊りを踊る地方がある。これが地域の再生に繋がるのではないかと考えたりする。

 私は渋谷で行われていたハローウィンを、凄いことが起きつつあるのかもしれないと考えていた。そう思った途端に東京ではハローウィンが中止となった。何が悪いのか未だに理解できないが、あのポテンシャルは世界に通用するようなものになれたのではないか。外の世界のものを取り入れて、楽しいところを切り取って、自分たちなりに表現して標準化する。私はそれこそグローバルに世界へ発信するとても重要な要素だと思う。何故それを中止にしたのか。。。リオのカーニバルのようになれたのではないか。そんなことを考えたりしている。ひょっとしたらテロルの情報があったのかもしれないが、私としては日本発の新しい歓喜を発信できたのではないかと思う。皆で踊れば楽しくなる。踊りの不可思議の一つかもしれない。

| 生きること | 21:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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