電脳指向・・・iPhone再び

朝の写真。やはり日差しが柔らかくなっている。今日は3連休の初日と言うことでお客さんが多かった。私は比較的ゆったりと時間を過ごしたが、なんとなく内心では焦りが出てきている。気持ちが空回りしているのだろうか・・・こういう気分の時には、落ち着いてものを作るべきなのだが・・・なかなかそう言う気分になりきれない。

次男の轆轤が少し進歩した。技術の不思議なところは・・・練習を沢山したからといっても伸びない時は伸びないのだ。練習を忘れて別の仕事をしていた時などに・・・すっーっと伸びていたりする。とても不思議なのだが、技術とはそう言う塩梅に伸びることが多い。今日の三男の轆轤はかなりまっすぐに挽けていた。若いことを羨ましく思うこともある。今日の進歩はそう言う気配が漂っていた。

まるは小さい猫だ。去勢したので・・・少し性格が円くなったようだ。以前は小さいながらも、強い猫だったが、最近は子供のあるに負けたりする。負けると言うよりも争わない感じだろうか・・・去勢したからなのか、それともそう言う年頃なのか、猫に詳しくない私は判断出来かねている。夕暮れになるといつもこの場所で暫し考え事をしている。何を考えているのだろう・・・
比較的古い時期(18年前)からコンピューターを使っていると書いたが、コンピューターを使い始めた動機は文章を書かなければならなくなったからだ。コンピューターだから書くと言うよりも、入力するという表現の方が正しいと思うが、18年前に・・・毎週文章を書くという仕事があって、コンピューターを使い始めた。キーボードの訓練に日記をコンピューターで付け始めたので、私は基本的には18年間。。。コンピューターで日記を書いていることになる。もっともかなり散逸してしまっているので、完全に揃っている日記は10年くらいだろうか・・・お陰で今では紙に書くよりも圧倒的に早く文章が入力出来るようになった。さらには、日記を書き続けた恩恵だろうか、文章を書くこと自体あまり苦にならなくなった。日記と同じくメールも18年前から使っているので、誰に、いつ、どういう内容のメールをしたのかがハッキリしていて、何かを思い出さなければならなくなった時に、とても重宝している。
スケジュールは勿論のこと、今までに書いた文章やメールがいつでもソート出来ることは、乱雑で整理の下手な私にとって、これ以上ない整理箱の役割を果たしている。私の生活は、ある程度・・・周期性がある。去年の資料はとても有効な今年の標となるのだ。去年何をしたのか・・・そのほとんど全てが、コンピューターに残されているのだから、私にとってコンピューターはとても重要な資料箱になる。5年前の私が、誰にメールして、何をしていたのか・・・コンピューターの中を少し調べれば判るし、その時にどんな情景だったのかも、写真を見れば判るからだ。デジタルカメラはとても利便性が高いツールで、その写真がいつ撮影されたものか記録されているし、iPhoneで撮影した写真は、どこでそれが撮影されたのかも記録されている。
私は紙情報の整理はほとんど行わない。机の下に段ボールを置いていて、それに片っ端から資料を投げ込むという乱暴な整理法が私の整理法だ。使い始めの日時を書いて・・・一杯になれば段ボールに蓋をして、使い終わりの日付を入れる。あとはその箱を倉庫に保管して・・・一丁上がり・・・色々試してみたが、この乱雑な方法が一番効果的だ。電脳的に処理するとすれば、全てをスキャナーで読み込ませるという方法があるが、私の場合資料を再度必要とする機会は滅多にないので、アナログ的で乱暴なこの手法で済ませている。そういう方法からすれば・・・デジタルな手法は検索をかけやすく、スマートで便利だ。もっとも、便利になったがために人の住所とか電話番号とか全く覚えない。今私の中に記憶されている電話番号は5カ所くらいしかない。もし電話番号が何らかの原因で飛んでしまったら・・・2度と連絡が取れない人が沢山出てくるはずだ。携帯が飛んだくらいで目眩がするくらいだから、重要な情報が沢山保管されている、コンピューターが飛んでしまったら、私のこの18年間の記録はほぼ全てが瞬時に失われてしまう。これが現代の恐ろしいところかも知れない。
クラウドというのが最近の主流になりつつある。情報をコンピューターの中にではなく、ネット上に保管するシステムだ。これを利用すると・・・ほぼ完全に情報を未来永劫保管することが出来るらしい。勿論、サービス自体が無くなったり、データーセンターが何らかの原因で飛んでしまったら、コンピューターと同じように無くなるのだろうが、幾つものバックアップが取られているので、どうやら安心らしい。実は私もコンピューターのバックアップは、ハードディスクとクラウドの二つを使っている。やはり自分の足跡が消えてしまうと困ると思うからだ。携帯電話の普及で、私達はダイレクトに交流することが多くなっている。その人がどこに住んでいるのか、その人の電話番号が何番なのかすら知らないことが多い。1度データーが無くなれば連絡のしようがない人が、沢山存在している。携帯を水没させてデーターを無くした人から、連絡先を教えて欲しいという電話が年に2、3軒有る。バックアップを取っていなければ・・・気が遠くなるような時間をかけて、再構築しなければならない。それもこれも・・・現代の人達にとって携帯電話が、最も重要なコミュニケーションツールだからだろう。
コンピューターの話からiPhoneの話に変わるが、iPhoneは・・・電脳的にと言う意味で・・・現状で考えられるほぼ全てのことを、手のひらサイズの大きさで行うことが出来る。昨日も書いたが、これ一台でさほど不自由な思いをせずに、あらかたの仕事をこなせるのだ。勿論、アンドロイド携帯でも、同じようなことが出来るが、マニアックな手続きをほとんどしなくても、簡単に先進のソフトをインスツール出来たりする。利便とは簡略化でもあるので、簡単に出来ると言うことはとても有効なポイントだろう。最近、友達がiPhoneに替えたとメールが入る事が多い。あまり電脳的な人ではなくても楽しんで使えるようだ。iPhoneはとても汎用性の高いツールなのだとそのたびに感じるのである。iPhoneでどこまでやれるのか・・・どこまででもやれるのではないか。。。そんなことを考えながら、初秋の時間を過ごしている。
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| 電脳嗜好 | 18:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑