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丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

2010年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年10月

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智慧というもの

 工房前の小学校が運動会で・・・朝からなんとなく慌ただしい。連休の2日目に運動会が開催されるのは、運動会を見に来る人にとってはどうなのだろう。私は結婚式等が連休の中日に行われると・・・かなりガッカリする人間だ。理由はその前の日も、そのあとの日も予定を立てられなくなるからだ。今年のシルバーウィークは日の並びが悪く、3連休だが・・・昨年の同じ時期は5連休だった。5連休の中日に運動会を持ってこられると、身動きの取り方が全く違ってくる。連休半ばの運動会・・・出来れば学校行事も含めて避けて欲しいと思う。

 明日は熊本の藤崎宮の秋季例大祭が行われる。所謂・・・随兵だ。この祭りも以前は9月15日と決まっていたが、数年前から日程が変動するようになった。祭りの日程変更が普通のことになれば、祭りは衰退すると私は考えている。祭りに参加する側も観る側も、祭りの日が何時なのか迷うようになれば、それはもはや祭りではない。
 祭りは天然自然の・・・つまり、森羅万象に則った形で執り行われる。その根源はやはり月の満ち欠けにあるのだ。全国の祭りが15日に集中するのは、そういう理由があるのだが、旧暦から新暦に移行されて以来・・・月と太陽との関係性が薄れてしまい・・・・あまり日程についてうるさく言われなくなっている。しかし、本質的なところでは、人間も森羅万象の一つなのだから。自然の法則に則って物事を行う方が良いと私は信じている。

 現代は人間がとても傲慢になっている時代でもある。人間が自然をあまり省みなくなっているのではないか。かって・・・人間は自然現象に関して、もっと謙虚だったと思う。太陰暦には人間の本質的な知恵が沢山ちりばめられているが、今の人は長い年月を懸けて作り上げた知恵を、迷信だと否定したりする。愚かことだと私は思うのだが・・

 ものを作る仕事に従事していても・・・最近は電話一本で土が運ばれてくる。電気仕掛けで轆轤が回転し、ガスを使って窯を焚く。山に分け入って土を探し、掘り出した土を水肥し、蹴轆轤で回し、形を作り、蒔き窯で作るのとは通過点である製造工程そのものが全く違ってくる。自ら掘りだした粘土でものを作ると・・・陶芸はマジックだと思えるほどに劇的な変化を遂げる。何故・・・山から掘り出した土が、これ程までに変化するのか、そのことがとても不可思議なことに思えるようになる。嬉しくなり・・・古の人達との交歓のような気持ちになれるのも、彼らと同じ作業工程を経たからだ。土が化学変化して美しい何者かに生まれ変わる。。。山から掘りだした粘土での作業は、その驚きを昔の人達と共有する行為なのかも知れない。

 昨日も書いたが・・・ハードディスクに保管したものが、いつまで持つのかは・・・誰にも判らないと言う。紙に書いたものがさほど長く持たないことは、すでに証明されている。紙よりも木簡の方が優れていることも時間が証明している。モニュメントの制作を依頼された時に、色々調べたことがあった。確かに陶器も長い時間に耐えられる素材だが、モニュメントは多くの場合、石に刻むことが多い。石に刻み込むと何千年という時間に耐えられるからだ。墓の素材が石であることが多いのも、長い年月に耐えられるからだろう。今だかって・・・石や焼物ほど風雪に耐えられる素材は発見されていないという。我々が知っていることは・・・たかだかその程度なのだと、自覚しなければならない。

 昔の人達より便利に生きているからと言って、知恵に満ちているわけではない。連休の中日に運動会を開催したり、祭りの日程を自分たちの都合で変化させるような・・・・浅はかさを前にして、驚くと同時に・・・知らないと言うことは、人が創り出す社会の中では、もっとも強い愚かさなのではないかと・・・考えている所である。
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