藤崎宮秋の例大祭・・・見学
熊本に随兵を観に行っていたため日記を1日書けなかった。カメラも撮影していないので写真もない。藤崎宮秋の例大祭というのが正式名称だが、今年は出ることが叶わなかった。随兵自体はこの10年間参加者が減り続けているようで、今回観た団体も比較的恒例の人の参加がまばらだった。理由は色々考えられるのだが、やはり規制が厳しくなったことが上げられると思う。熊本の祭りは肥後の祭りは馬追と云われるもので、動物愛護団体からのクレームがあったという。確かに大昔は馬を鞭で叩いたりしたようだが、現在の祭りでは殆どそう言うことは行われない。殆どと全くでは意味が違うと言われそうだが、絶対にないかと言えば・・・私は祭りの全てを観ているわけではないので、絶対と断言することが出来ないからだ。唯、私が参加していた団体などはそう言う情景は見かけたことはない。鞭で叩かないから馬が安閑としているかと言えば、やはり、悲しそうな目をしているという人も存在しているので、やはり動物愛護という観点から言えば、胸を張って誇れる祭りではないと思う。。。
随兵は口取りと言われる馬を操る係と、勢子と呼ばれる馬を集団で踊りながらせき立てる係とに別れる。私がかって参加していた時には、勢子の方で参加していた。もっとも口取りは修練が必要で、馬とのコミュニケーションも大切なので、おいそれと加わることは出来ない。さらには口取りは最後の最後には自分が観客と馬との盾の役目もしなければならないので、私がやりたいと言っても恐らくやらせては貰えないと思う。一見、野蛮にも見えるが口取りは繊細な馬の世話をする係なので、とても細やかな気持ちを持っていなければ、出来ない仕事である。その点・・・勢子は元気に後ろの方で踊っていれば役目が終わるので気が楽なポジションではある。
私は18年前からおよそ12年間ほど毎年この祭りに参加した。12年ほどの間に祭りが相当変化してきて、この5年間ほどは殆ど祭りに参加しなくなったが、参加しなくなったのには理由がある。10年ほど前にかなり大きな規制が掛った。祭りの時に首に汗を拭くためのタオルがあるのだが、タオルの色を規制された。祭りで言えば手拭いである・・・手拭いの色を何故決めなければならないのか、訝しく思いはしたが・・・それが藤崎宮の意向と言うことであればと思い従った。祭りの夜にみだりに町に出ないようにと言われた年もある。打ち上げで町を練り歩くのが楽しみだったが・・・好き者会という・・・若い人達が夜の町に繰り出し、騒ぐので、一般の参加者が危険だというのが理由だった。私はそのお達しには従わなかった。いい年をした人間が祭りの打ち上げで酒も飲まないで家に帰ると言うことが、あり得ないことだと思ったし、好き者会の人達は・・・ちゃんとハッピをして町を歩いている大人を襲う事はないと思ったからだ。祭りはハレの空間だから・・・ついつい行き過ぎたことが行われる場合がある。その場合は話し合いをもって、決まり事を作るのが人間の知恵だと思うのだが、何時もお宮さんからの通達と言うことで祭りが司られてきた。私は随兵が下火になったことの原因の一つは・・・そこにあると考えている。
ある程度の歳を取った人の参加が減ってきている。若い人の参加も減ってきている。私が所属していた団体は前世紀の半分の人しか集められない。祭りを継続させるためのぎりぎりのラインで運営を行うので、祭りの責任者になる人が見あたらない。責任者の仕事が膨大になるからだ。参加している人の年齢がどんどん下がってきている。祭りも1度ピークを過ぎると、元に戻すのにとても長い年月が必要になる。老いも若きも1年に一度鳥居をくぐり1年の無病息災を祈るから・・・祭りなのだ。宮入の瞬間は感動的でさえ有る。随兵を観客として見守りながらそういう思いが胸を過ぎていった。
随兵は口取りと言われる馬を操る係と、勢子と呼ばれる馬を集団で踊りながらせき立てる係とに別れる。私がかって参加していた時には、勢子の方で参加していた。もっとも口取りは修練が必要で、馬とのコミュニケーションも大切なので、おいそれと加わることは出来ない。さらには口取りは最後の最後には自分が観客と馬との盾の役目もしなければならないので、私がやりたいと言っても恐らくやらせては貰えないと思う。一見、野蛮にも見えるが口取りは繊細な馬の世話をする係なので、とても細やかな気持ちを持っていなければ、出来ない仕事である。その点・・・勢子は元気に後ろの方で踊っていれば役目が終わるので気が楽なポジションではある。
私は18年前からおよそ12年間ほど毎年この祭りに参加した。12年ほどの間に祭りが相当変化してきて、この5年間ほどは殆ど祭りに参加しなくなったが、参加しなくなったのには理由がある。10年ほど前にかなり大きな規制が掛った。祭りの時に首に汗を拭くためのタオルがあるのだが、タオルの色を規制された。祭りで言えば手拭いである・・・手拭いの色を何故決めなければならないのか、訝しく思いはしたが・・・それが藤崎宮の意向と言うことであればと思い従った。祭りの夜にみだりに町に出ないようにと言われた年もある。打ち上げで町を練り歩くのが楽しみだったが・・・好き者会という・・・若い人達が夜の町に繰り出し、騒ぐので、一般の参加者が危険だというのが理由だった。私はそのお達しには従わなかった。いい年をした人間が祭りの打ち上げで酒も飲まないで家に帰ると言うことが、あり得ないことだと思ったし、好き者会の人達は・・・ちゃんとハッピをして町を歩いている大人を襲う事はないと思ったからだ。祭りはハレの空間だから・・・ついつい行き過ぎたことが行われる場合がある。その場合は話し合いをもって、決まり事を作るのが人間の知恵だと思うのだが、何時もお宮さんからの通達と言うことで祭りが司られてきた。私は随兵が下火になったことの原因の一つは・・・そこにあると考えている。
ある程度の歳を取った人の参加が減ってきている。若い人の参加も減ってきている。私が所属していた団体は前世紀の半分の人しか集められない。祭りを継続させるためのぎりぎりのラインで運営を行うので、祭りの責任者になる人が見あたらない。責任者の仕事が膨大になるからだ。参加している人の年齢がどんどん下がってきている。祭りも1度ピークを過ぎると、元に戻すのにとても長い年月が必要になる。老いも若きも1年に一度鳥居をくぐり1年の無病息災を祈るから・・・祭りなのだ。宮入の瞬間は感動的でさえ有る。随兵を観客として見守りながらそういう思いが胸を過ぎていった。
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