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丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

2010年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年10月

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『市山くじらや』発進・・・

 昨日の日記に独立して初窯出しをした女性のことを書いたが、今日は若い人が独立するまでのことを書いてみたい。彼女の場合・・・丸尾焼に入ってきたのが、ちょうど10年前になる。福岡の大学で美術と陶芸を学んだ彼女は、焼き物の修行をしようと、私の工房にやってきたのだった。工房で丸尾焼に入りたいという電話を受けた妻が、あの時の彼女じゃないかなと・・・言ったので恐らく・・・それ以前から私の所に来たいという希望は持っていたのだろう。私の所の門をたたく以前のことを、私はあまり知らないが、妻が・・・思い当たるくらいだから、余程印象に残っていたのだろう。その当時私の工房は何故か女性の希望者が多く。半年くらいの間に、4名の女性が丸尾焼に入ってきた。今、思えば・・・何故それほど短期間に4名の女性が工房に入ってきたのだろうと思うが、やはりそう言う『時期』だったと、今の私は思うのである。確かに、ある時期に仕事をしたいと窯にやってくる人が集中することがある。彼女達も思い思いに工房に来たのだろうが、一時期に集中してきたのには・・・とても因縁のありそうな出来事だと思う。

 ある時期に人が集中して入ってくることは時々ある。・・・と言うより・・・同じ時期に不思議なことなのだが、複数の人が入ってくることの方が良くあるのだ。同時期に、同世代が入ってくることが多いのは、私にとっての謎の一つだが、因果関係がありそうだと・・・・感じるほどよくあるケースだ。実際に現在の工房も同世代の人たちが多い。たしかに・・・私のところの息子たちがいることも原因の一つだろうが、今の丸尾焼には同じくらいの年齢の人が集中している。考えてみればおよそ10年くらいで私のところはスタッフが一巡りする。昨日窯を開いた彼女は・・・前世代スタッフのしんがりに位置している。彼女は今からおよそ10年前、ちょうど天草大陶磁器展が始まる頃に、工房に入ってきた。日比野克彦氏が天草に始めて来た年に、彼女も工房に入ったのだった。その縁で今回・・・日比野氏が窯のロゴタイプと、窯印を描いてくれた。窯名「市山くじらや」この命名も日比野さんだったりする。

 市山くじらやを開いた彼女は私の工房でいえば、第2世代スタッフの最後の一人ということになる。第1世代はすでに独立してから10年以上経過しているので、ある程度の・・・仕事をこなしている人が多い。第2世代の先輩たちも頑張っている。色々な個性が工房を後にしたが、それぞれの道を歩いているようなので、頑張って欲しい。陶芸の仕事はやはり長い年月が必要な仕事なので、時間を掛けただけの結果を出して欲しい。10年という時は気が遠くなるほど・・・長い時間だ。それだけの時間を掛け苦しい修業時代を過ごしたのだから、成功して欲しいと心の底から思う。世に出ると言うことは、厳しいことも多いと思うが、陶芸を志して良かったと思えるような結果を出して欲しい。

 今・・・私のところで仕事をしている人たちは、第3世代のスタッフである。この中には私の息子たち3名が入っており、私が直接指導する最後の人達だろう。第3世代は息子達も含まれているので、この世代を指導することは直接的に、私にとっても死活問題になってくる。今から先は、確かな技術を持つことは当たり前の話だが・・・それに加えて、豊かな感性や未来を見つめる視点をしっかりと持つことが肝要になってくる。勿論、それは、今、私のところで仕事をしている人たちのみに必要なことではなく、今、陶芸に携わっている人たち・・・共通の必須事項なのだと思う・・・・・修業とは生業を修めると書く・・・自らの生業をおさめるのだから、簡単なことではない。あらゆる事を想定して、自分の将来に備える。そのために掛けなければならない時間は・・・膨大なものになる。『市山くじらや』には頑張って欲しい。そんな気持ちを持ちながら、彼女の窯出しを観ていた。

 
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