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丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

2010年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年01月

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S君が亡くなった

 高校の同級生のS君が亡くなったと電話が入る。急性心不全だったとのこと・・・天を仰いだ彼は私の歯科の主治医で・・・彼に面倒を見て貰う事にしたのも、同世代で同じくらいスピードで老いていくだろうと考えたからだった。高校の同級生だから、初めて会ってから37年の付き合いと言うことになる。あまりのことに体の力が抜けて・・・何もする気持ちが沸いてこない。何をしているんだと問い詰めたい気もするのだが、本人の無念を考えれば・・・言葉も出ないというのが今の私の正直な気持ちである。M君は一見すると穏和な人だったが、その心の中にはふつふつとした思いをたぎらせていた。ギター少年で、高校の時からギターを常に触っていたという印象がある。その頃はロック全盛の時代だったので、かれも御多分に漏れず・・・ロック少年だった。高校の頃は私はかなり過激な男だったのだが、時々M君の口から発せられる言葉は・・・不良の私からしてもハッとするほどの過激な言葉で、流石にロックする人間は違うと・・・そんな思いを何度もさせられたことが思い出される。

 歯科医師としては東京で開業した。私が東京で展示会をした時に真っ先に個展会場を訪れてくれて、とても温かいもてなしをしてくれた。持つべき者は友達だと・・・個展会場で・・・そう思ったのを覚えている。東京の歯科医院を閉めて、その後熊本に帰った・・・歳をとった母親が心配になったのだと思う。少し、紆余曲折があったようだが、7年くらい前に熊本にしか医院を開所した。私が彼に世話になったのは5年ほど前・・・それからは時々酒を飲んだり、たまには彼が歳をとってから始めたバンドを聞きに行ったりと・・・再度若い時のような付き合いを始めていた。酒が好きだったので・・・体調を壊さないようにと・・・心配していたのだが、このようなことになって・・・残念でならない。お袋さんがまだご健在なのに・・・先立つとは、どういう顔をしてお母さんと会えばいいのか、そのことを考えただけで、胸が痛んでしかたがない。生き死には自分で決められるわけではなく、思し召しだと思わないわけにはいかないのだが・・・それにしても無常なのだと思い知らされることだと、今回も痛感してしまった。

 学生のことの出来事が走馬燈のように浮かんでくる。バンドの練習をしていて、大きな音を出していたところ・・・深夜に警察が来て、怒られたのは彼の父の不動産事務所だった。試験の時に答えを見せて貰い・・・窮地を救って貰ったこともある。何かあると、人前では人ごとのように接しながら、あとで救いの手をさしのべてくれるような男だった。酒を飲むとロッカーの面が現れてきて、反逆児になる奴だったが・・・根本はいつも優しく男だての良い同級生だった。嫁を貰えと随分言っていたが、おれに合うような女はそうそういないと言い張っていた。今更ではあるが・・・彼のようなロック魂を持った男に着いて行くような女はいなかったのかもしれないと思う。ロッカーだからと言って節度がないわけではなく・・・普段は本当に礼儀正しい男だった。今の自分があるのは・・・S君のような友達が居たからで・・・自分の体の一部を削がれたような、言葉にならない悲しみがある。

 人は誰だって立派に生きたいと思っている。立派とは人から見える姿かも知れない。人から立派に見えていても内面では忸怩とした思いで生きている人も多いだろう。S君はきっと様々な矛盾を抱えて生きていたと思う。ロッカーでありながら、彼は親孝行だった。私はロッカーならば親不孝にならねばならぬと言ってちゃかしたこともある。彼は私を憮然として観つつ・・・関係ないだろうと答えたことがある。一人息子で後を継がなければならない苦悩のようなものを垣間見た出来事だ。誰だって奔放に生きたいと思うし、誰だって親孝行でありたいと望む。思いが相反するものであれば、人は自分の中で処理せざるを得なくなる。立派に生きようと思えば思うほど・・・矛盾はあからさまになってくる。S君は我々にも教えてくれない病を持っていたそうだ。親孝行の彼が一番怖れたことは、あるいは母より先になくなることだったのではないか。ロッカーの彼はそれを紛らわす術を酒以外知らなかった。。。心優しい男の。。。悲劇と言うしかない。

 S・・・安らかに眠れ。おまえの優しさを私は忘れない。
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| 雑記 | 19:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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