残暑・・・忙しさで残暑が体に響いている。 2011年8月31日
夏の終わりのはずだが、残暑が襲いかかっている。工房は今日の夜中がリミットの窯焚きの予定なのだが、暑さのせいもあってなかなか仕事が捗らない。今日は朝から暑かったが午後からは一艘暑さが募って、素焼を窯から出す作業をしていた長男は、玉のような汗をかきながら冷たい水を飲んでいた。この時期は体調をこわしたりする人が出てきたりするが、やはり、涼しかったり暑かったりを繰り返して、次第に秋になっていくので・・・このところの暑さは秋の気配を一度感じた体には酷な暑さなのかも知れない。工房の窯詰めの主たる作品は明後日から始まる、グランメッセの展示会の為の新作が殆どだ。グランメッセの展示会は3日間の開催。展示会の期間が正味3日間しかないので、初日にはどうあっても作品を持っていきたいのだ。金曜日の朝7時には工房を出たいので、今日の夕方・・・最悪でも今日の深夜までがタイムリミットになる。展示会は一般的に、初日の来場者が一番興味を持ってきてくれるお客さんだ。そう考えれば、やはり初日の朝には新作を並べたいので、ギリギリの状態で窯焚きの準備を進めている。更に今日は明日の搬入の準備も進めておかなければならない。窯焚きと搬入準備が同時進行することは、工房にとっては普通のことなのだが、今日は月末も加わり、工房は天手古舞いの忙しさだ。
新作が増えているために仕事の能率が今一つ捗らない。新作に対しての文様なり釉薬なりを、一つ一つ決めていかなければならないからだ。さらに言えば、新しい作品の文様入れなどは・・・慣れていないので、思いの外時間が掛ったりする場合が多い。結果として、時間が押してしまい通常の窯焚きと比べて思わず時間が掛るのだ。今日も現場ではやきもきした時間が過ぎているが、新しいモノを作ると言うことは常にこういったロスが出るものだと・・・改めて思い知らされている。普段のレギュラーの仕事であれば、あまりこういうロスが出ることはない。素焼の回数さえしっかりと管理しておけば、仕事場は粛々と作業が進行し、予測した時間とあまり変わらない程度の時間に、窯の火をつけることが出来るのだが、今回の窯焚きに関しては予測することがとても難しくて、8時に火が着くと言えば着きそうな感じもするし、12時になると言われると12時まで掛りそうな気もする。そんな全く予断を許さない気配が濃厚に漂っているのだ。勿論、新作は今の工房にとって次を占う意味でも重要なポイントだ。多くの人が集まる場所に作品を並べて、お客さんの反応を見てみたいという気持ちが強い。初日に展示会に来るお客さんは、購買意欲も高い人が多いので、初日に間に合うように作品を持っていきたいというのが今の気持ちである。
今日はそれ以外にも陶芸展の時に開催する演能会の打合せと、映画の会に関しての打合せがあった。夕方からは市民芸術祭の舞台のリハーサルがあり、私の身辺も俄に慌ただしくなってきている。潜在的な脳では既に何度もイメージトレーニングをしていたことなので、今のところ的確な指示を出すことが出来ているが、これから先はもっと色々なことが押し寄せてくるはずなので、あらかじめ先を予測しながら、準備を進めていかなければならないと思う。時間との戦いの場合思わぬミスが出ることが多い。いそぎ仕事はお金にならないと昔の人は諺で残しているが、急ぐ時に限って様々な問題が出てきて、結果として墓穴を掘ってしまうことがあるので、これから先どんな問題が出てくるのかをしっかりと予想しながら先手を打って準備を進めていきたいと思っている。毎年この時期になると・・・ああそうだったと思い出すことがある。それはこの時期はとても忙しいと言うことだ。仕込みをしなければならない時期だし、現業もしっかりと仕上げていかなければならない。夏の終わりは忙しかったんだと・・・今年も改めて思いだしているところだ。
毎年のことであれば、ルーチンワーク化することが出来るはずなのだが、毎年少しずつやることが違っている。その少しが近いこともあるが、遠いという場合も多い。近くに見えても遠いわけで、遠いと言うことになれば、一から始めなければならなくなる。ボクシングのようにすぐそばにセコンドがいて、色々と指示を出してくれればもっと話が早くなると思うのだが、残念なことにそういう存在は私の周りにはいない。秘書がいればと思うこともあるが、到底秘書を雇うお金もないわけで、結局何から何まで自分たちで計画して、物事を進めていかなければならない。しなければならないことは、どんなに時間が切迫してもしなければならない。先手を打って準備を進めることがとても大切なことなのだが、何時もバタバタと動かなければならなくなって、ドタバタ劇を演じている。またまたいつもの時間が始まったと思う。恐らくこのようなドタバタは死ぬまで治らないのだろう。あきれ果てそうなことなのだが・・・これもまた私なのだと言い訳をしている。
新作が増えているために仕事の能率が今一つ捗らない。新作に対しての文様なり釉薬なりを、一つ一つ決めていかなければならないからだ。さらに言えば、新しい作品の文様入れなどは・・・慣れていないので、思いの外時間が掛ったりする場合が多い。結果として、時間が押してしまい通常の窯焚きと比べて思わず時間が掛るのだ。今日も現場ではやきもきした時間が過ぎているが、新しいモノを作ると言うことは常にこういったロスが出るものだと・・・改めて思い知らされている。普段のレギュラーの仕事であれば、あまりこういうロスが出ることはない。素焼の回数さえしっかりと管理しておけば、仕事場は粛々と作業が進行し、予測した時間とあまり変わらない程度の時間に、窯の火をつけることが出来るのだが、今回の窯焚きに関しては予測することがとても難しくて、8時に火が着くと言えば着きそうな感じもするし、12時になると言われると12時まで掛りそうな気もする。そんな全く予断を許さない気配が濃厚に漂っているのだ。勿論、新作は今の工房にとって次を占う意味でも重要なポイントだ。多くの人が集まる場所に作品を並べて、お客さんの反応を見てみたいという気持ちが強い。初日に展示会に来るお客さんは、購買意欲も高い人が多いので、初日に間に合うように作品を持っていきたいというのが今の気持ちである。
今日はそれ以外にも陶芸展の時に開催する演能会の打合せと、映画の会に関しての打合せがあった。夕方からは市民芸術祭の舞台のリハーサルがあり、私の身辺も俄に慌ただしくなってきている。潜在的な脳では既に何度もイメージトレーニングをしていたことなので、今のところ的確な指示を出すことが出来ているが、これから先はもっと色々なことが押し寄せてくるはずなので、あらかじめ先を予測しながら、準備を進めていかなければならないと思う。時間との戦いの場合思わぬミスが出ることが多い。いそぎ仕事はお金にならないと昔の人は諺で残しているが、急ぐ時に限って様々な問題が出てきて、結果として墓穴を掘ってしまうことがあるので、これから先どんな問題が出てくるのかをしっかりと予想しながら先手を打って準備を進めていきたいと思っている。毎年この時期になると・・・ああそうだったと思い出すことがある。それはこの時期はとても忙しいと言うことだ。仕込みをしなければならない時期だし、現業もしっかりと仕上げていかなければならない。夏の終わりは忙しかったんだと・・・今年も改めて思いだしているところだ。
毎年のことであれば、ルーチンワーク化することが出来るはずなのだが、毎年少しずつやることが違っている。その少しが近いこともあるが、遠いという場合も多い。近くに見えても遠いわけで、遠いと言うことになれば、一から始めなければならなくなる。ボクシングのようにすぐそばにセコンドがいて、色々と指示を出してくれればもっと話が早くなると思うのだが、残念なことにそういう存在は私の周りにはいない。秘書がいればと思うこともあるが、到底秘書を雇うお金もないわけで、結局何から何まで自分たちで計画して、物事を進めていかなければならない。しなければならないことは、どんなに時間が切迫してもしなければならない。先手を打って準備を進めることがとても大切なことなのだが、何時もバタバタと動かなければならなくなって、ドタバタ劇を演じている。またまたいつもの時間が始まったと思う。恐らくこのようなドタバタは死ぬまで治らないのだろう。あきれ果てそうなことなのだが・・・これもまた私なのだと言い訳をしている。
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| 陶芸 | 18:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑