丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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何処に行くのか、何処に行こうとしているのか。 2011年9月29日

 超省エネ型環境社会と言うことを昨日は書いた。消費は美徳だと言われた社会からの脱却だから、相当な困難を伴うと思う。現実的には雇用をどうするかと言うことだろう。失業率を考えると既にこの国は相当な人あまりの状況が始まっている。3Kのような労働集約型の仕事に就く人があまりいないのだと報道されているが、仕事がマッチしないという人達まで保証をしているのだから、なかなか状況は改善しないのかも知れない。一旦未就労で生活する手段があることを知ってしまうと、そこから抜け出すことは甚だしく困難なことになるのではないか。失業者が未曽有の数存在すると言うことは、それだけ雇用の場が少なくなっている証拠だと思う。超省エネ型の社会は言い換えれば・・・雇用不安と直接的に結びついている。この問題を解決出来るのは政治しかないのだが、残念ながら政治は現状では全く力を発揮出来ないと思う。おそらくこれから数年間を掛けて、次第にそういう方向へ社会が進んでいくことにより、次第に認識の共有化が図られるのだろうが、今の日本はその前の段階である混沌の時代にまっただ中に有るのだろう。というのもこの国はなにがしかのターニングポイントが起こると、議論が起こり混沌とした政治状況が生まれる。この政治状況の混沌こそが、日本人の智慧ではないかと思われるほどに、政治が空転することにより、国民のコンセンサスが形成されていく。

 今の日本は歴史としてあとで振り返った時に、あの時に大きな転換点を迎えたのだと思い返すことが出来るようなポイントにあるのではないか。多くの人達が感じていること。それは原子力発電は不要なのではないかと思っていること。それは政治が如何に原子力発電の利便性を強調しても、事故が起きた時の汚染の大きさがあまりにも大きいと言うことが、これだけあからさまになると、経済現象として捉え割り切れる限度を超えているという認識が、国民の間に急速に広がっていると思うからだ。国土は金銭で対価出来るかと言うことに繋がってくる話で、電力の安定的な供給という経済主義の上での大義名分と、国土の保全と言うより本質的な大義とを秤に掛けた場合、どちらがより重要なのかを考えれば、すぐに結論が出るような話だと私は思う。もし今年の夏に深刻な電力不足が全国で起こっていたら、原子力発電の正当性は担保出来ていたのかも知れないが、夏にあれだけの原発が停止していながら、電力供給が間に合ったのを見ると、とても原子力発電がこれ以上必要だとは考えられない。原子力発電所の事故が人の生存権を長期間に及び奪うものだと言うことが判った以上・・・経済の原則を幾ら言いつのったところで、無力な意見だと言わざるを得なくなると思う。

 結果として電力供給量は低下してくるだろう。経済の論理で生存権を脅かすとすれば、それは、民主主義を完全否定することに密接に繋がるからだ。とすれば・・・より一層の超省エネルギー技術への取り組みしか現状を解決する手段はなくなってくる。このことは現状から極めて正確に予想出来ることなのだが、いまだにとってつけたような自然エネルギーの有効利用と言った未開発の技術で現状を解決しようという空気が存在したりしている。考えてみればすぐに判ることは10%発電量を伸ばす手段を考えた方が有効なのか、10%消費量を抑える方法を考えた方が有効なのか。短期間の話ではなく、長期にわたることを踏まえて考えれば、省エネルギーの方へ進んだ方が、のちのち国家戦略として考えてみても、有効で有望な対応のあり方だと思う。何故なら、今の世界はすべてが拡大のベクトルで動いており、それが過剰なエネルギーの消費に繋がっている。エネルギーの過剰消費のあとに来るのは、必ず省エネルギーになるはずだ。時代はその直前の段階に既に来ていて、これからのイニシアチブは超省エネルギーを達成出来た国が握ることになると・・・私は考え始めている。

 3月11日以降。私は大震災の結果として様々な変化が起こるだろうと予測をしていた。大震災という巨大な災いを得て、どういう方向へ国が進むのか・・・おそらく、国の方向性がどちらかの方向へ明確に向かい始めるのだろうとも考えていた。それが劇的に進むのか、あるいはゆっくりと緩慢に進むのかは判らないが、大震災という結果を受けて大きく舵を切ることになるだろうというのが、私が大震災直後に感じたことだ。今までのように原発を沢山稼働させながら、消費型社会を継続するのか、あるいは今私が考えているような超省エネルギー型の社会を構築するのか。おそらく後者を目標とした社会の実現へ向かうのではないかと言うことが・・・今の私の予測である。この国のたの国と違うところは、方向性が定まった時に、一瞬でその方向性を理解して、新しい方向性に向かってばく進することが出来ると言うことだと私は思っている。今はそのための熟成の時間なのだと思う。新しい方向へ向けた転換の時期が迫ってきていると、最近の私は感じている。
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