丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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種の私は20年後を考えている。 2011年10月30日

2011年10月30日

 朝仕事を一区切りつけた三男が温泉にいくというので、私も一緒に温泉へ行った。朝の5時はまだ暗くて・・・朝はからっきし弱い私は季節の変化を直接的に感じた。近くのホテルの温泉だったが久しぶりにゆっくりと温泉に浸かると、このところの忙しさで疲れたからだが蘇った気分になった。家に帰り着いたのが6時を少しすぎたあたりで、まだ暗いのだと改めて深まりゆく秋を感じた。すっきりしたのでさわやかな朝をと思いコーヒーを飲んだところで、猛烈な眠気が襲いかかってきた。疲れたときにはこういう生理的な現象を拒否してはいけないと、自分に言い聞かせながらベッドで微睡んだ。気が付けば10時半。それまでの約4時間グッスリと体を休めることができた。工房に降りると工房は修羅場となっていた。自分の仕事をすることは、これほどまでに若いスタッフを覚醒させるのかと、改めて驚いた次第だが、この数日間・・・ほとんど不眠不休で自分の作品作りに取り組んでいる姿を見ると、モノを作ることははやり人にとっては本能に近いような感覚なのだと、改めて思い知らされている。もちろんまだ彼等は駆け出しの段階ではあるのだが、それでも一心不乱に自分の作品を作っている姿を垣間見ると、眩しいというのか・・・頼もしい気持ちが沸き上がってくる。自分が今この瞬間に作りたいと思うものを作れると言うことは、本当に幸せなことだと改めて感じたところだ。

 今の工房には20代のスタッフが9名いる。今回はそれにゲストが一人加わっているので、今現在工房では10名の若い人が自分の作品を作ることに挑んでいる。若い人が沢山いると、お互いに競争心が芽生え刺激し合いながら・・・作品作りに取り組んでいる。私はそれを見ながら・・・ほほえましく見つめている。これからどういう作り手として進化していくのか、とても楽しみでもあるが、若い人を預かっている身としてはひしひしと責任を感じてもいる。次男が私にもっと先生をした方がよいと言ったことが、私にのしかかっているのだが、これからは今までよりももっと積極的に、指導をしていきたいと思う。自分が作りたいモノを作るという行為は、有る意味では無限の造形の中から、自分しか作れないものを作ると言うことだろう。それは自分をどこまで詰めていくかということに繋がっていて、本当の自分とは何なのかを見つけることでもある。目の前であからさまにそういう状況が繰り広げられているのだから、私にとってもとても大きな刺激になっていたりする。陶芸展の素晴らしさは、若い彼らを本気にする力を秘めているところだと思う。

 私はこれからの陶芸は革新を続けて面白さを保つところと、同じ行為を続けて次第にパワーが落ちていくところが出てくると考えている。同じことを継続することもある意味ではパワーが必要なことだが、今の時代は変化を常に求められているとも言えそうで、変化しないところは次第に色あせてくるのではないか。今の丸尾焼は変化を起こす前の段階に達していて、来るべき変化を前にマグマが溜まっている段階だと思う。もちろん、今までに作り続けたものを完全に無くすわけではなく、必要なものとそうでないものを取捨選択して、新しい作品を作り出す前の檀家に達しつつあると思う。陶芸という仕事は手に仕事を身につけるまでに長い時間が必要なので、一度技術を獲得すると、獲得した技術に囚われてしまいがちだ。あまり極端に変化すると、今までの仕事を全否定するようなことにもなりかねないので
、じっくりとではあるけれど、確実に変化してくると思う。その先触れとして若いスタッフが存在している。彼等が自分自身の作品を作るという行為は、今から先の工房にとってもとても大きな兆しなのだと思う。今日は彼等の作品を窯に入れる日。どんなものができるのか詳細を確かめたわけではないが、彼等なりにしっかりと作り込んだものが観れることを楽しみにしている。

 私は時々20年後の天草の陶芸の姿を想像してみたりする。その時・・・私が生きていたら私は73歳になっている。息子だけで言えば長男が48歳。次男が44歳。三男が42歳。。。そのころ彼等の下で・・・いったい何人の若い陶芸家を目指す人たちが、一緒に仕事をしているのだろう。私は天草の陶芸にとっては種のようなものだと思っている。種だから枝を伸ばしたいと思うのだ。種は種としての役割があるが、幹や枝もやはり役割がある。天草を陶磁器の島に作り上げることは、一年や二年で出来ることではない。しっかりとした産地が形成されるまでにはおそらく30年40年くらいの年月は必要だと思う。それに取り組むのか、取り組まないのか、その鍵は今一緒に仕事をしている人たちの意志にかかっていると思う。今天草は陶芸の島作りに取り組み初めて、10年が経過したところだ。30年を一つの単位として考えれば、残された時間はあと20年。。。20年後の天草陶芸がどうなっているのか。その鍵は今私の目の前で一心に作品作りに取り組んでいる、彼等に掛かっていると私は思っている。次の世代をどう育てていくのか・・・種の私はそういうことを考えながら若い人たちを見守っている。
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