200年の風雪。つまりは信用。。。
バタバタとした日が少し一段落。ほっと一息つくことが出来た。週末から昨日まで、身辺がとんでもないことになっており、忙殺・・・されていた。おまけに台風までやってきた。今回の台風はなんとなく嫌な気配を感じたので、それなりに準備をしたのだが、天草方面の風は思ったほどではなく、ちょっと損をした気分になってしまった。災害は忘れた頃にやってくると言われるが、油断すると大きな災難をもたらすので、損・・・したという気持ちを必死で押し殺している。ブラジルから工房に留学していたパトリシアが、週末、7年ぶりに工房を訪れていた。彼女はブラジルでカーデザイナーと結婚し、現在、上海に住んでいるそうだ。結婚生活を満喫しているようで、とても幸せそうな印象だった。陶芸は今のところやっていないようで、その点では少し寂しかったが、本人が幸せであれば・・・それ以上求めるものはない。今日、福岡空港から上海に向けて発つらしいが、2時間程度で上海に到着するとのこと。遠いような、近いような・・・思いが交錯した。
陶芸展のゲストはとても刺激的な人が集まりつつある。正式な発表をまだ行っていないので、ここに書く訳にはいかないが、単体で考えても、素晴らしい人達が集まることになりそうだ。難航したようにも思えるが、今年のテーマである『身一つ』という言葉に、多くのゲストが賛同してくれて、知的なディスカッションをいろいろ展開できると思っている。陶芸という仕事に関して、私は地方における最も知的な仕事だと考えている。文化的という意味で考えても、地方の背骨となる職業だろう。しかもご近所の水の平焼は、当代で8代目。昨年創業250周年を迎えた仕事場だ。恐らく天草で最も古い事業所ではないだろうか。私のところも今年で創業178年となるが・・・天草でも指折りに古い仕事場だと思う。明治100年の年に商工会議所より表彰を受けているが、その文言の中に『貴事業所は100年の風雪に耐え・・・』と書いてある。このことを、私たちはもっと誇りにして良いのだと、とても強く思うようになっている。
私たちは文化的プロフェッショナルである。文化的プロフェショナルは地方においては数が少ない。画家や音楽家が居るという人がいるだろうが、その多くは学校の教員であったり、ピアノを教える先生だったりする。本業は別に持っているわけだから、完全にプロだというわけではない。陶芸家は殆どの場合がプロフェッショナルだ。天草の場合陶芸教室を生業にしている人は殆ど居ないので、陶芸家と言われる職業の場合。殆どプロフェショナルということになる。しかもすべての陶芸家が土の選択から作品を作ること、販売までも一手にこなしている人達だ。こうったプロの集団がいる地域はそれほど多くない。ましてや、天草のように全体がまとまっているところ、ほとんど存在しない。とくに8代・・・250年間続いている窯元の存在は大きい。200年の風雪に耐えているわけだから、並大抵のことではないと思う。178年続いている窯元の私がいうのだから・・・間違いであるはずがない。20年や30年とは訳が違う苦労が存在するのだ。
例えば今回のゲストの招致についても、陶芸家ということで相手の敷居が下がってくる。陶芸家という職業は案外世の中での認知度と許容度が高い。もちろん相手次第だが、陶芸家ということで随分と信用してもらうことも多い。もっともそれは私が作り上げた信用ではなく、私以前の人々が営々として作り上げた信用だ。今年の夏に制作した天草窯元マップには『窯元推薦の食事処』という記事を挿入した。窯元が推薦するということで、信用度が高いと好評をいただいている。天草大陶磁器展はゲストが多彩だと驚かれることが多い。誰が呼んでいるのですかと聞かれることも多い。実際には我々が人脈を駆使してゲストを招聘している。これも私達がプロフェショナルだからこそなせる技だと思う。今回3回目の招聘となる近藤良平氏は、次男が三宅島にワークショップに行った時、隣の部屋で楽器を弾き続けていた人だった。舞踏家なのか音楽家なのか・・・・そんな縁で始まった天草での一人舞台だ。他ではやんないよ・・・という言葉が強く残っている。陶芸家の底力のような話だと思っている。我々がこの血で果たすべき役割の一つだと考えている。
陶芸展のゲストはとても刺激的な人が集まりつつある。正式な発表をまだ行っていないので、ここに書く訳にはいかないが、単体で考えても、素晴らしい人達が集まることになりそうだ。難航したようにも思えるが、今年のテーマである『身一つ』という言葉に、多くのゲストが賛同してくれて、知的なディスカッションをいろいろ展開できると思っている。陶芸という仕事に関して、私は地方における最も知的な仕事だと考えている。文化的という意味で考えても、地方の背骨となる職業だろう。しかもご近所の水の平焼は、当代で8代目。昨年創業250周年を迎えた仕事場だ。恐らく天草で最も古い事業所ではないだろうか。私のところも今年で創業178年となるが・・・天草でも指折りに古い仕事場だと思う。明治100年の年に商工会議所より表彰を受けているが、その文言の中に『貴事業所は100年の風雪に耐え・・・』と書いてある。このことを、私たちはもっと誇りにして良いのだと、とても強く思うようになっている。
私たちは文化的プロフェッショナルである。文化的プロフェショナルは地方においては数が少ない。画家や音楽家が居るという人がいるだろうが、その多くは学校の教員であったり、ピアノを教える先生だったりする。本業は別に持っているわけだから、完全にプロだというわけではない。陶芸家は殆どの場合がプロフェッショナルだ。天草の場合陶芸教室を生業にしている人は殆ど居ないので、陶芸家と言われる職業の場合。殆どプロフェショナルということになる。しかもすべての陶芸家が土の選択から作品を作ること、販売までも一手にこなしている人達だ。こうったプロの集団がいる地域はそれほど多くない。ましてや、天草のように全体がまとまっているところ、ほとんど存在しない。とくに8代・・・250年間続いている窯元の存在は大きい。200年の風雪に耐えているわけだから、並大抵のことではないと思う。178年続いている窯元の私がいうのだから・・・間違いであるはずがない。20年や30年とは訳が違う苦労が存在するのだ。
例えば今回のゲストの招致についても、陶芸家ということで相手の敷居が下がってくる。陶芸家という職業は案外世の中での認知度と許容度が高い。もちろん相手次第だが、陶芸家ということで随分と信用してもらうことも多い。もっともそれは私が作り上げた信用ではなく、私以前の人々が営々として作り上げた信用だ。今年の夏に制作した天草窯元マップには『窯元推薦の食事処』という記事を挿入した。窯元が推薦するということで、信用度が高いと好評をいただいている。天草大陶磁器展はゲストが多彩だと驚かれることが多い。誰が呼んでいるのですかと聞かれることも多い。実際には我々が人脈を駆使してゲストを招聘している。これも私達がプロフェショナルだからこそなせる技だと思う。今回3回目の招聘となる近藤良平氏は、次男が三宅島にワークショップに行った時、隣の部屋で楽器を弾き続けていた人だった。舞踏家なのか音楽家なのか・・・・そんな縁で始まった天草での一人舞台だ。他ではやんないよ・・・という言葉が強く残っている。陶芸家の底力のような話だと思っている。我々がこの血で果たすべき役割の一つだと考えている。
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