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丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

2016年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年11月

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ローカルを極めてグローバルへ

 鶴田一郎氏はどちらかと言うと寡黙な人だ。何年か前に酒を飲んでいた時だと思うのだが、『自分はローカルと極めてグローバルを目指す』ということを話されたことがあって、その時のことがとても印象に残っている。印象に残っているのは、その時に私自身が考えていたことととても近い感覚だと思ったからだ。鶴田さんの父君と私の叔父がとても仲が良かったので、鶴田一郎氏のことは小さい時から知っていた。絵かきを目指しているという話を聞いていたのだが、ノエビアの美人画であっという間に世に出たという印象がある。もちろん苦労したとは思うのだが、夜に出た時が派手だったので、あまり苦労したという印象を私は持たなかった。時代が求めたのだろうというのが率直な感想だった。ノエビア化粧品の売上が何倍にもなったのだから、映像の効果とは凄いと思わざるをえない。その印象があまりにも強かったので、どんな方向へ向かうのかと私は思っていたのだった。

 現代は情報過多の時代だ。あれだけテレビで流されて、イメージが確立してしまえば、そこから脱却することは難しいと思う。今はノエビアというイメージは薄れているかもしれないが、やはり印象という意味では濃密に存在すると思う。日比野氏もダンボールというイメージが強くある作家だと思う。日比野氏も若いころに作品のイメージが強く定着した人だと思う。以前であれば、ゆっくりと情報は伝わっていく。しかし、今の時代情報は本当にあっという間に伝達してしまうのだ。おそらく鶴田氏も日比野氏も、当初は自分の作品が、これほどの速度で世の中に出ていくとは考えていなかったと思う。朝起きたら人が皆知っていた・・・というような感じだったのではないか。鶴田さんがローカルといった時に、私は『それは自分の中のローカルなのですか』と聞いた。鶴田さんはしばらく考えて『自分の中の日本であるとか、美しいと感じる女性を描ききりたい』とそんな答だったと記憶している。

 鶴田さんは本当に描くことが好きだという話を、身内の人から聞くことが多い。チラシの裏に小さい頃から時間を忘れて描いていたと、先年無くなったお母様からよく聞いた。一人で絵を書いていればよかったのよ。。。という話は色々な人から聞いた話だ。もちろん、好きということと・・・作品が売れるということは別の話だが、それでもやはり好きだということは必要最低条件だとも思う。一人で立ち向かうわけだから、好きだという思いは始めの意志なのだと思う。創作する人にはこれからどうするのかという思いが内在している。これがなければ次に進むことが出来ないからだ。私が繰り返し書いている『何処から来て、今何処にいて、今から何処へ行こうとしているのか』このことを考えない創作者は先がないと私は思う。もちろん、私もそのことを考え続けているし、同じ職業の人も持つべき態度だと思う。陶芸はともすれば。。。繰り返しの仕事に陥ったりするのだが、絵を描く仕事も形を作る仕事も本来は次をどうするかを考え続ける仕事だと思う。

 鶴田さんの言葉には、自分がグローバルに位置しているという認識はないように思える。自分はローカルを極めてというローカルは何処にあるのだろうか。それは場所なのだろうか。場所だとすると天草のことかもしれない。ローカルとは個人のことを指すのだろうか。だとすると鶴田一郎個人がローカルなのだろうか。複合的な意味でのローカルなのだろうか。それは場所であり個人であり、自分が位置する環境なのだろうか。私は天草に住んで、天草で物を作り、天草をより良い場所にするための一つの考え方が『ローカルを極めること』だろうと考えている。この場所を極めることによって、グローバルに到れるのではないか。鶴田さんが私に話してくれた『ローカルを極めてグローバルへ』ということに共感を持つ理由はこの辺りにある。今回のディスカッションではこのことをしっかりと話してみたいと考えている。
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