丸尾焼窯元日記

熊本県天草市にある丸尾焼という窯元の窯元日記です。陶芸に興味のある方はチェックすると面白いかも・

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通夜に出て考えたこと。

 狩野琇鵬師の通夜に参列。能楽関係者の人たちや文化関係の人たちが多数みえていた。人を送るのは定めとはいえ、生き様をいろいろと考えさせられる。琇鵬師の通夜の席でも師の生き様を考えさせられた。師は40歳台の時に大きな病をされたようだ。それ以降・・・師は病との戦いだったと・・・了一師が通夜の御礼の時に話をされた。能楽師は頑強な肉体が必要であり、それに勝るような精神力も備わっていなければならない仕事。一昨日の日記に身一つ・・・について書いたが、身一つであればこそ・・・身は唯一無二に大切なものとなる。病を得られた後は、肉体と常に対話しながら、務めを果たされてきたのだろう。能楽では「時分の華」ということがよくいわれる。若いときには若いなりに、歳を取れば歳を取ったなりに、その時分の華を意識し舞い、謡う・・・病を得てからの狩野琇鵬師は、そのことを常に思いながら、能に向き合っていたのだろうと思う。

 通夜に参列するだけでも、その人の人生を垣間見ることが出来る。昨日の通夜もとても誠実に人生を生きている人の姿を見ることができた。狩野琇鵬師は数多くの弟子を持っておられるが、その人達一人一人も本当に素晴らしい人だと、いつも諸先輩方を観ながら敬服している。特に昨日のような師匠の死に対しての態度を観れば、人は人を呼ぶのだということを改めて教えられた。もちろん人間である以上・・・万能ではない。万能ではないが、それを補うのが、人格なのだろう。身一つで人生を送りきる覚悟。それがあるからこそ、安心して生きることも出来るのだ。そういう意味では能楽の世界は700年の歴史があり、そこに生きて死んだ人達の歴史がある。先人が居るからこそ、安心して道を歩くことが出来るとも言えるわけで、長い時間で形成された社会合意だと思う。

 了一師もその延長線上に生きている人だ。師は東京を中心として活動しているので、これからも東京の第一線で活躍することになるはずだ。おそらく喜多流の中心として能楽を背負うような人になるのだろう。これから・・・了一師を観ることは・・・とても楽しみなことになる。そう考えれば一人の能楽師を知るということは、能楽全体を知るということにもなる。そこには古の人達の観能に対する・・・あるいは人の生き様に対する、楽しみ方の根本のようなものがあるように思えてならない。もっとも、このような感想は私のようなにわかな人間が表層のみをとらえての感想にすぎないと思うのだけれど・・・

 通夜に参列する前に次男の子供を見に行く。七夕に生まれていたが、少し早く生まれたこともあり、直接的な接触が出来なかった。23日に退院して長男の妻の実家にいたのだが、日程的な折り合いがつかず・・・なかなか会うことが出来なかった。たまたま20分ほど時間がとれたので、実家に立ち寄ることができた。まだ小さいので壊れそうでほんの一瞬しか抱くことが出来なかったが、五体満足・・・しっかりとした目鼻立ちで、二人目の孫に感慨もひとしおだった。亡くなるということ・・・生まれるということ。それが生き物の定めなのだと、改めて思った一日だった。12時前に天草に帰り着き・・・ばたばたした一日が終わった。
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